昨年3月末、ワンブラさんが
神戸からタンザニアに帰国して以来、
たくさんのE-mailを交わした。
彼のmailの書き出しは、いつも「Dear Yonezawa Family」
Familyって、いいニュアンスの言葉ですね。
ワンブラ家のFamilyをご紹介します。
カシミール・ワンブラさん[Casmir Wambura]38歳 ワンブラ家のご主人(内科医師)
(このブログでの呼び方は「ワンブラさん」「ワンブラ医師」)
ワンブラさんと知り合ったのは6年半ほど前になる。
彼が日本の文部省の招きで神戸大学医学部に研究に来られて間もない頃だったと思う。
当時、ケニア人のエンジニアの方で、神戸大学の講師をされていた方が我が家に
よく遊びに来ていたのだが、ある日「友達をひとり連れていくよ」ということで
一緒に来られたのが、タンザニア人のワンブラさんだった。
お二人とも和食と日本酒が好きで、夜おそくまで語りあった。その内、ケニア人の方がカナダの大学に行かれたので、ワンブラさん一人で来られるようになった。
彼とは、時々、我が家の近くのコートでテニスもした。
そして、奥様のフローレンスさんとカルビンくんの来日で、一時期、賑やかになった。
昨年3月、ワンブラさんが5年間いた神戸を去り、タンザニアに帰国することになり、10kmほど離れた運送会社のコンテナに引っ越し荷物を一日がかりで運んだ。コンポーネント・ステレオを2セット、大きな冷蔵庫を2台など、通常のご家庭の2倍に近い荷物の大掛かりな引越しだった。
タンザニアからの留学生3人とトラック運転手として則二が加勢に行った。トラックはワンブラさんが信者となっていたカトリック教会が貸してくれた。楽しく、ゆったりとした一日だった。
現在、ワンブラさんはダルエスサラーム大学の講師でもあり、大学病院の医師でもある。
そして、他の医学校の講師、他の病院の医師を掛け持っているため、年中ご多忙である。
夜中の12時とか2時のご帰還が続いているので、「あなたがそんなに忙しいのはなぜ」と質問したら「タンザニアには医師が少ない」とのお応えだった。家ではいつも眠そうだった。
我々がワンブラ家に滞在していた9月下旬、彼が神戸大学時代から書いていた論文「熱帯における病気」でEuropean Journal of Gastroenterology and Hepatologyという団体から受賞し、各方面から祝福を受けた。ちゃんと説明できないのが残念だが、彼は偉いんだ。
フローレンス・ワンブラさん[Florence Wambura]33歳 ワンブラさんの奥様
(このブログでの呼び方は「フローレンスさん」「フローレンス夫人」)
5年少々前だった。フローレンスさんが当時3歳のカルビンくんを連れて神戸市兵庫区の
ワンブラさんが住むアパートに来た時は結構センセーショナルだった。
20代の若奥様の登場。まさに家族ぐるみのお付き合いとなり、行き来することが多くなった。
旅行も近畿圏内の日帰りだが、いろいろと行った。奈良、宝塚、淡路島…これはルミナリエ。
ある時、我が家に佳織の友人が数人集まり「フローレンスさんとタンザニア料理を作り味わう集い」を開いた。それを地域の新聞社に取材してもらい記事にしてもらった。
フローレンスさんは、現在、コンサルタント会社の秘書をしている。
しかも、夕刻から3〜4時間、ビジネススクールでお勉強している。
現在、朝7時に家を出て、夜8時頃帰宅するという毎日である。
8歳と2歳のお子様がいて、こんな事ができるのは使用人がいればこそであろう。
美枝子が盛んに「私の人生とエライ違い」と羨ましがる。
カルビン・ワンブラくん[Calvin Wambura(Mwita)]8歳 長男 通称は「ムイタ」
(このブログでの呼び方は「カルビンくん」)
[03]のところでも書いたが、カルビンくんに会いたいために、
我々ははるばる、タンザニアまで来たのかもしれない。
神戸時代のカルビンくんは可愛かった。
ちょっとした仕種に日本の子供にはないエキゾチックさを漂わせていた。
でも、当たり前と言えば当たり前なのだが、8歳のカルビンくんは大人だった。
我々のことも日本語もすっかり忘れていた。
現在、
J.K.Nyerere Schoolというエリート小学校の優秀な生徒である。
ミッシェル・ワンブラちゃん[Michelle Wambura(Rhobi)]2歳 長女 通称は「ロビン」
(このブログでの呼び方は「ミッシェルちゃん」)
5年前のカルビンくんのアイドル的な存在を、今回は、このミッシェルちゃんが
しっかり果たしてくれた。この子だけが、日本での生活体験がない。
彼女が一日に何度となく則二を「バブ(じいさん)」、美枝子を「ビビ(ばあさん)」と
呼びつける声が今も耳の中に残っている。