Dar es Salaamとはアラビア語で「平和の家」という意味である。
昔、東アフリカ沿岸で活躍したアラブ系の海上交易にたずさわる人たちにとって、
この天然の良港は「平和の家」に見えたのであろう。
ンゴロンゴロ自然保護区からダルエスサラームに帰って、まず、海を見たくなった。
ここはザンジバル島などへの連絡船の発着場である。ここでは海外からの客船は見あたらない。
こちらは漁港だけれど、桟橋がない。昔ながらの小さな舟を利用しての陸揚げのようだ。
アラブの港町の面影が少し残っている。暑い日だったが、氷や冷蔵庫のようなものはない。
ナイロビは海から遠いのだが、寿司を食べたことがある。日本人の調理人が「アフリカでも良い米が穫れるようになった。でも、冷凍車がないので、いい魚が手に入らない」と嘆いていた。
ダルエスサラームは漁港があるのに、寿司屋がなかった。日本人だって、随分いるのにねぇ…
貝類はどれも大きく、色がきれいだ。ここは魚市場だが、もちろん土産物屋にも並んでいた。
市場のすぐ裏には網や干物をほす広場があり、アフリカらしい空間が広がっていた。
「ニューアフリカ」という高級ホテルを見学した。いよいよ娘の佳織が帰国の日になった。
ワンブラ医師がいつも「小さな空港」と卑下するが、ナイロビ空港と比べて遜色はないと思う。
佳織にとっては充実した2週間であったと思うが、我々はちょっと疲れた。右はエリーザさん。
このブログの投稿者、則二と美枝子が帰国するのは、この日から数えて44日後である。
【LOG in BLOG】05.1.13
神戸市民にとって1月17日は特別な日であり、今年は10年目ということで各方面とも力の入った多彩なイベントが企画されています。その中でひとつだけ、小さな催しをご紹介します。
震災の日、大学1回生だった
佐野由美さんは長田区の自宅が全壊。その3日後からイラスト日記を描き始める。それをまとめた本「神戸・長田スケッチ 路地裏に綴るこえ」を出版して話題になる。大学卒業後、NGOとしてネパールの小学校に美術教師として赴任。1年間の任期終了直後、交通事故に遭い、23歳の若さで亡くなりました…という話しをご存じですか。
テレビでは「with」というドキュメンタリー番組で紹介されました。彼女の遺作展があります。
佐野由美スケッチ展「神戸・長田 路地裏に綴るこえ」
日時:2005年1月15日〜2月13日 場所:長田シューズプラザ