Julius Kambarage Nyerere
1922年、ニエレレは西部の小村ブティアマでザナキ族の首長の息子として生まれる。
ウガンダの大学を卒業した後、一旦、教師となるが、27歳で英国エジンバラ大学に留学。
帰国して、アフリカ人民族同盟を創設するなど、民族主義運動を推進する。
1961年、現在のタンザニアの大陸側、イギリス領であったタンガニーカの独立を果たす。
1964年、アラブの要人を国外脱出させたザンジバルのカルメ大統領と合意し、
タンザニア連合共和国を建国させ、初代大統領となる。
その後、21年間にわたり大統領の座に就く。終生「ムワリム(先生)」と呼ばれ親しまれた。
「アフリカを知る事典」 吉田昌夫・著 平凡社
*1961年、彼が起草した
「アルーシャ宣言」は歴史に残る名文である。
*キリマンジャロ頂上のウフル(独立)・ピーク(5895m)には「我々は彼方に輝く
キリマンジャロ山頂に灯火をかかげよう。絶望あるところに希望を、憎悪あるところに
尊厳を与えるために…」と
ニエレレが書いた銅板レリーフが置かれている。
9月25日土曜日、ワンブラさんご夫妻、いつもご多忙な二人がドライブに誘ってくださった。
クルマはトヨタのLEVという4輪駆動車。フロントガラスに三重県警のシールが貼ってある。
つまり、中古車なのである。でも、税金と運賃で日本で買うよりも100万円は高いとのこと。
マイカーを持つことは、この国では贅沢なことなのだなぁと思っていたら、もっと贅沢な……
運転しているワンブラさんが「カルビンが行ってる学校でgraduationがあるから見に行こう」
と言ったので、「えっ、カルビンくんの学校が見られるの。行こう!」と即座にに同意した。
でも、graduationはuのないgradationに聞こえていた。則二は日頃つき合っている仕事仲間の
グラフィック・デザイナーたちが色彩のぼかしの意味で使うgradationのことを考えていた。
J.K.NYERERE SCHOOLに到着して、その意味がわかった。graduationは卒業式のことなのだ。
何百年もの植民地時代を経て独立に漕ぎ着けた英雄、そして、1985年まで21年間にわたって
初代大統領の座に就いたJ.K.ニエレレの名を冠した、タンザニア屈指のエリート校である。
我々が着いたときには卒業式の式典は終わっていた。カルビンくんは3年生で送り出す側。
緑がいっぱいの校庭で、先生と生徒と父兄がゆったりとした交流の時間を過ごしていた。
バイキング形式の食事を卒業生も在校生も心ゆくまで楽しんでいた。これはこれでいいのだが…
我々はこのブログの
[22]〜
[26]に載せたキベラのマシモニ小学校と対峙させていた。
早川千晶さんやリリアンさんにこの学校を見せたら、どのようなコメントをするだろうか。
この学校はこの国の次の時代のリーダーを育てるための培養基なのだろう。
子供たちには弱者の痛みのわかる人に育ってほしいと思った。
【LOG in BLOG】05.1.27
明日、今冬一番の寒波来襲とのことですが、けなげに芽吹く姿が見られました。六甲山頂近くで。