1848年にドイツの宣教師レーマンが白人として初めてキリマンジャロを
発見したのだが、赤道下で雪があるなどとは当時は誰も信じようとしなかった。
初登はんは1889年、ドイツ人マイヤー博士によって行われた。
「キリマンジャロの雪」 鈴木耿子・著 実業之日本社
「1889年と言えば116年前。今年の夏に登った立山は千年以上の歴史だから…」と言いながら、
マラング・ゲートのハンス・マイヤーの記念碑の前に立った。碑はドイツ語、その上に英訳。
朝もやの中、いよいよ出発である。緊張する一瞬である。5名のポーター達は互いの荷物が
重いとか軽いとか、いつまでも比べているので、我々とガイドは先に出発することにした。
ここ、マラング・ゲートは標高1800m。頂上は5895m。果てしなく長い登はんが始まった。
登山道に入ると、いきなりというか、瞬く間に密林に突入する。ほとんど空が見えないほど、
鬱蒼とした大木が我々の行く手を覆っている。でも、ゆるやかで、歩きやすい道ではある。
このような密林に出会うと、我々世代は映画「ターザン」を思う。最近、アニメ版もあるので
若い方もご存じかも知れないが…。船旅をしていた英国貴族一家が嵐に遭い、幼い子供だけが
アフリカに漂着する。その男の子がゴリラに育てられ、たくましく成長するという話しである。
モノクロ映画時代の「ターザン」は元水泳選手のワイズ・ミューラーが演じ、密林の中を裸で
走りまわり、象とか、キリンとか、チンパンジーと協力して悪者をやっつけるのである。
でも、この密林では動物の姿をまるで見かけない。小鳥の鳴き声も聴こえない。と思っていたら、
突然、大きな猿と出会った。美しい毛のために乱獲されているアビシニア・コロブスか。
【LOG in BLOG】05.2.21
キリマンジャロ登山の入稿にあたり、神戸市立中央図書館に行って蔵書調べのパソコンに「キリマンジャロ」と書き込んで検索したら、10数冊の本のタイトルが出てきました。うち、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の翻訳者や出版社を違えた本が半数ぐらいを占めていたのですが、同じタイトルで日本人が書いたものがあるのにビックリ。この稿の冒頭の文章である。
1958年(昭和33年)9月発行のこの本は日本人としてキリマンジャロ初登頂を記録したものであった。しかも、著者の鈴木耿子さんは日本人女性として初の6000m峰の登山者とある。
この本によるとキリマンジャロは標高が6010mとなっており、現在よりも115mも高いことになる。50年近くも昔の話しだから、山の測量方法も違っていたのだろうか。
神戸港から船に乗って1カ月間かけてケニアのモンバサに上陸。ナイロビ、アルーシャを経て、
キボ・ホテルに入り、1958年1月に
ギルマンズ・ポイント(現行の地図では標高5690m)まで登り、それを登頂としている。その後、アフリカ第二峰のケニア山にも登り、ヨーロッパ経由で帰国。
謎はなぜヘミングウェイと同じタイトルにしたのか? 不明だったが、このような一文があった。
「ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』を何回か繰り返し読んで、キリマンジャロに対して神秘的でロマンチックな感情を持つようになった。実際に登って現実の山となったのだが、神秘的でロマンチックな感じは消えはしなかったし、心の中で輝きを増していくことだろう。」