多くの登山者が高山病にかかり、ウフル・ピークまで行くのは
半数以下になることもある。初心者が楽々と登頂することもあれば、
ベテランが高山病で後遺症を残したり、命を落とすこともある。
絶対に無理をしないことが大切だ。
「地球の歩き方・東アフリカ」 ダイヤモンド社
マンダラ・ハットの4人用バンガローで、我々以外にもう一人、日本人の方と同室になった。
ケニアの奥地で水資源開発のお仕事をされている本山隆史さん。ヒマラヤをはじめ、数々の
登山歴のある方だった。下山中の彼からいただいたDiamoxという日本では販売されていない
利尿剤を高山病予防のために則二は飲みはじめる。結果として、この秘薬が決め手となった。
ところが標高3780mのホロンボ・ハットを目標としている美枝子はこの予防薬を飲まなかった。
昨日の密林と違ってカラッとした空気だ。マンダラ・ハットからの登りは広々とした草原となる。
ポーターは荷物を背中ではなく、頭に乗せる。不安定な感じがするが、荷物を地面に落とすことは
なかった。食糧、炊事道具、プロパンボンベなどを運ぶポーターが、我々には5人ついていた。
ポーターたちは歩くのが早い。朝のうちは我々と相前後しながらとなるが、1時間もすると
前方に姿が見えなくなる。「昨日から、ずっとキリマンジャロ主峰(キボ峰)が見えていない」
と思っていたら、突然、行く手に姿をあらわした。グッと近づいた感じはするが、まだまだ…
この2日目は2729mのマンダラ・ハットから3780mのホロンボ・ハットに向かっているのだが、
3000mを過ぎてから美枝子の様子に変化があった。立ち止まって息を整える回数が多くなった。
午前11時、標高3300mの地点で動けなくなった。頭痛と吐き気、高山病の症状が出ている。無理はできない。アシスタント・ガイドのモゼスさん(写真右の人)と一緒に下山することになった。
マラング・ゲートを出発して1日半、25kmは山中に入っていたが、美枝子はこの後、10kmは自力で歩き、残りの15kmは救急隊のクルマで下山。午後4時にはキボ・ホテルに到着した。幸いにも下山の途中でどんどん回復し、ホテルに入った時には酸素吸入などの必要がなかった。
美枝子はこの日からキボ・ホテルに3泊して、則二の下山を待つこととなった。
【LOG in BLOG】05.3.1
3月1日。今日から春である。神戸市須磨区、総合運動公園に行ったら、5万本の菜の花が咲き始めていた。幼稚園の生徒や老人会の方達などが種まきをして、植えつけたものである。