キリマンジャロの場合、雨が多く降るのは山腹だけで、
上方は非常に乾燥し、雨量は年間わずか100mm内外でしかない。
水分といえば霧に頼らなければならないし、
それでも動物や植物はなんとか生きていかなければならない。
「アフリカ Life Nature Library」 タイムライフブックス
標高3300mでの高山病のため、美枝子がアシスタント・ガイドのモゼスさんと下山し始めるのを
見とどけて、則二とチーフ・ガイドのヘディックさんは登り始めた。美枝子の私物を持って登った
ポーターがすでに3720mのホロンボ・ハットに到達しているので、指示を出して、この日の内に
キボ・ホテルまで運ばねばならない。急に慌ただしくなった。上の写真はタンザニア側に拡がった
ゆるやかな山裾。はるか彼方にコーヒーの畑が広がっているはずだが、さだかには見えない。
12時、昼食をとる広場で弁当を食べた。ガイドのヘディックさんが「10分で食べろ」と言った。
何という忙しさ。ここにはトイレもあった。日本の山よりもトイレのある休憩所が多かった。
昼食の後、則二としては早いピッチで登っていたら、山小屋(ハット)の方から降りてきたのが、
装備担当ポーターのヘディック・ジュニアさんである。到着が遅いので心配していたらしい。
この二人は親子。ヘディックさんの父もガイドだったので、親子三代にわたっての山男である。
ジュニアは28歳。彼もやがてガイドの資格を得て、この山を世界の人々に紹介することだろう。
さて、2日目の目的地のホロンボ・ハットに近づくと珍しい樹木に出会った。通称、セネシオ。
Senecio Kilimanjari。キク科だが木生。セネシオと呼ばれる植物は世界中に分布しており、
日本にも自生しているらしいが、このような形態のものは、この山とケニア山だけのようだ。
生長が極めて遅いので樹木らしくなるには200年は要する。雲霧林ならではの樹木なのだ。
他に大きな樹木がないので否応なしに目を引く。高さ5mくらいになるので、別名はジャイアント
セネシオ。霧が発生すると幽霊のように見えるので、ゴースト・ツリーとも呼ばれている。
こちらは一見にしてカラス。「シロエリ・オオハシガラス」といい、日本のカラスより大きい。
くちばしが太く、首の後ろに白い帯がある。残飯を狙って山小屋の周囲をウロウロしていた。
ごめんなさい。東京都と神奈川県を旅行していたために、2週間ほど入稿できませんでした。ノートパソコンを持参して旅行中も入稿しようと思っていたのですが、作業する時間が取れませんでした。よって、しばらくの間、入稿日とは関係なく旅の記録をLOG(日記)します。
【LOG in BLOG】05.3.3
旅に出る前日、プロ野球オープン戦の関西での第一戦<オリックス対ロッテ>を観戦した。白いユニホームがオリックス。黒いのがロッテ。寒い日だったが、試合前の練習ではオープン戦ならではの熱気があった。球場名が今年からスカイマーク・スタジアム。2年前のヤフーBB球場のネーミング・ライツ(命名権)に引き続き、再度のネーミング・ライツである。内外野とも天然芝。
仰木監督に請われて入団した40歳の吉井投手が投げたが、無惨に打たれ、早々に降板となった。
【LOG in BLOG】05.3.4
新幹線で上京した。静岡までは見慣れた景色だった。伊豆半島の山々が雪に覆われているのに驚いていたら、横浜や東京では民家の屋根まで真っ白。川崎市の息子の家に行き、クルマを借りて江ノ島や鎌倉に出かけたら、何百人ものサーファーが海にプカプカ。こちら、冬物のオーバーを着込んでいるのだが、こりゃ何だ。海に浸かりっぱなし。寒中水泳よりもキツイんじゃないの?