キリマンジャロの最もすばらしい点は、
山から見たアフリカ大地にのぼる太陽と、その薄い光線に輝く階段状の氷河であろう。
この時ばかりは時間の流れが止まる。
静寂だけが山頂を包み、だれしも神聖な心持ちになる。
古来より世界各地で山を神と仰ぎ、信仰の対象にしてきたことが実感できる。
「アフリカ ふたつの山に登る」 水野一晴・著 旅行人・発行
いよいよ頂上アタックの日を迎えた。これまでの3日間は急な上り坂もなく、4日目のこの日のためのトライアル(試走)と書いたマニュアルもある。一睡もしないまま出発の時間が近づいているが、まったく眠気を感じないほど気持ちは高ぶっていた。
この日の服装を書いておく。帽子は毛糸で編んだ目出帽なのだが、眼鏡をかけたままでは被れないので、たくしあげて被る。スキー用のダウンジャケット、その下にセーター。普通のズボンの上にオーバーズボンを履く。手にはスキー手袋、靴下は2枚履く。
リュックの中には予備の防寒着も兼ねてGORE-TEXの雨具上下、マンダラ・ハットで購入しておいたミネラルウォーター、小型のデジタルカメラと単3電池10本(懐中電灯用とデジカメ用)など。
紅茶とクラッカーで軽い朝食をとる。午前0時、約50人ほどのキボ・ハットの宿泊客が一斉に外に出る。星が見えない。前日同様に曇っているようだ。この日、ポーターは山小屋(ハット)待機となるので、ガイドのヘディックさんと則二の二人で歩き始める。手にはハロゲンランプの懐中電灯。ところが、ヘディックさんはリュックも水筒もない。こちらのランプが明るいためか、ヘッドランプのスイッチを入れないまま歩く。「何じゃ、こいつは!」と思うが、英語で言いがかりをつけるのは難しいので、そのまま登り始める。この日は最初から急勾配である。
インターネットで読んだキボ・ハットからの登はん記録に「富士登山に似た感じに…」と書いたものがあったが、確かに頂上直下の急坂を深夜に行列して登るのは、ここと富士山だけかもしれない。最初の2時間ぐらいは抜きつ抜かれつとなり、休憩している他のパーティーのガイドが歩いている則二のお尻を「ジャパニ(日本人)」と言って叩く。まっ暗がりで人の顔など見えないはずなのだが、激励に感謝を込めて日本人らしく「さんく・ゆー」と返礼する。足下はくずれやすい砂地である。ガレ地を右に左にジグザグに登っていく。我々と同じようなペースで登っていた人達の中にも高山病の症状が出て、突然、下山する人も見かけた。その場合、ガイドがひとり同伴しておりる。そのため、2〜3人くらいのパーティーでもガイドが2人はつく。
5200mを過ぎたころであろうか。前後に人影が少なくなり、ほんの少し明るみ、地面がやっと見えるようになった頃、次第に息苦しくなってきた。10歩あるいては休み、5歩あるいては休み。しかも、腰を曲げて下を向き「ハァ、ハァ」と荒い息をして、上を向くことができない。
ヘディックさんにリュックを持ってもらう。ポリ容器に入ったミネラルウォーターを飲もうとしたら、半分くらい凍っていた。登ることに懸命になっていたのだが、やっと寒さを感じた。
凍りついた岩石の間を縫うようにして登っていく。次第に明るくなるが、霧で視界はきかない。
午前5時58分、写真でもわかるように疲れ切って、キボ峰のクレーターの一角にあるギルマンズ・ポイントに到着する。この日、キボ・ハットを出発したパーティーは約20組だったと思うが、10番目くらいには着いたようだ。しばらく座り込む。ウフル・ピークよりも205m低いが、ここを頂上とする場合がある。ヘディックさんが「ウフルに登る?」とたずねたので、この時ばかりは元気良さそうな声を出して「登りたい!」と応える。こちらのコンディションを考えてシブルのかと思ったら、意外と簡単に「行こう」と言った。この辺りから少しずつ元気が出てきた。
因みに、1958年1月19日に日本人としてキリマンジャロに初登頂した9人の登山隊(隊名が文献に無記載)は、このギルマンズ・ポイントを頂上としている。(
[63]参照)
そして、少し歩きかけた時、周りが急に明るくなった。雲間から太陽が覗いた。ご来光である。
ギルマンズ・ポイントは東向きなので、ご来光を迎えるにはうってつけなのだ。午前6時15分。
薄暗い空の彼方に、ぽつんと紅い点のようなものが浮かんだかと思うと、
みるみる丸く膨らみ、
側峰のマウェンジ峰の背後から、オレンジ色の光輪を放った。
雲海を押し分け、空一面を紅く染めて、太陽はぐいぐいと昇って行く。
荘厳な日の出の一瞬であった。
「沈まぬ太陽 (アフリカ篇)」 山崎豊子・著 新潮社
ここでのご来光を綴った文章としては、これに尽きると思う。この長編小説のタイトルには、無論、広い意味があるのだろうが、そもそもの所以(ゆえん)はここでの荘厳さではないだろうか。
日の出をバックにした写真は失敗する…という定義を証明したような写真である。
太陽が見えたり見えなかったりの薄曇り。下界は見えない。クレーターがドンと落ち込んでいるのはわかり、そのエッジ部分を歩くので恐怖感はある。でも、そのスケール感がつかめない。
【LOG in BLOG】05.3.14
11日間の東京都と神奈川県の旅行が終わった。夕刻、新幹線に乗る時は天気が悪かったが、静岡県に入って好天となり、列車の中から富士山を見ることができた。上記の本編で「富士登山」と書いているが、実は登ったことがない。富士山は登る山ではなく、見る山であると思っている。
3月中旬にしては雪が多い気がする。それに比べてキリマンジャロは氷河が急激に少なくなっている。富士山の雪とキリマンジャロの氷河。今後、地球温暖化の指針になるのではないだろうか。