リーダーに吐いていることがばれると、山を下ろされてしまうので、
ちょっとトイレにと言って、皆の見ていないところで吐いた。
キリマンジャロは技術的にはそれほど難しい山ではないが、
一度にかなり高度を上げざるを得ないので、高山病が出やすいのだ。
寒気、吐き気、頭痛、手足のむくみ…僕には高山病の初期症状のすべて現れた。
「落ちこぼれてエベレスト」 野口健・著 集英社
前回
[74]Special Thanks…お世話になった方々への感謝の念を述べさせていただきました。
今回は高山病と凍傷について書きます。
写真はマンダラ・ハットのそばにあった研修所のような施設です。ホロンボ・ハットから一気に下だり、午前11時にはマンダラ・ハットに到着。昼食をたべおわって散策していたら、映画「風と共に去りぬ」のラストシーンのような雄大な景色の中に、集会所や広場があった。
ところが、標高2729mのこの地に高山病についての注意書があるのです。美枝子はここから500mほど登った所で下山を余儀なくしたのですから、もっともな掲示板ではあるのですが。
七大陸最高峰最年少制覇の野口健さんは17歳でキリマンジャロに登頂していますが、高山病には相当ひどく、長時間にわたって悩まされたようです。彼は16歳でモンブランに登っているし、自分では高山病にかからない体質であると思い込んでいたそうですが。
とにかく、ベテランも若者も、キリマンジャロ登山には高山病が付き物のようです。
でも、則二は頭痛や吐き気が一切なく、不思議なぐらい高山病と無縁のまま下山できました。
では、どのようにしたら高山病が避けられるのか。則二の体験から2点ほど書いておきます。
1、最初の山小屋のマンダラ・ハットで1.5リットルのミネラルウォーターを3本買いました。
2人で飲む分として買ったのですが、マンダラ・ハットから2時間半ほど歩いた所(3300m)で美枝子は下山することになりましたので、その日から1日1本ずつ水を飲むことになったのです。ノドの乾きはほとんど感じなかったのですが、歩いている時や寝る前に飲み続けました。
食事のたびに出るスープは鍋ごとテーブルに置かれますので、2杯、3杯と飲みました。ティータイムに出てくる紅茶(チャイ)も薄めにして何杯も飲みました。水分の摂取が大切なのです。
2、Diamoxという利尿剤が体質的に効きました。山小屋の部屋はトイレがないため、夜中に何十メートルか寒い屋外を歩いて行くのですが、それが良かったのでしょう。利尿剤がなぜ高山病に効くのかという医学的な説明はできないのですが、ネパールなどでは発売しているようです。
上の写真は午後1時30分、無事、マラング・ゲートに到着した時のものです。
この日は下りばかり4時間ほど歩いただけで疲れは感じていませんでした。「もう歩かなくていいのだ」とホッとしていたのですが、この時になって初めて気づいたことがありました。それは…
ゲートに出迎えてくれた美枝子に指摘されて気づいたのですが、顔などを凍傷していたのです。額とか耳が黒ずんでいたのです。下山途中、かゆみは感じてポリポリ掻いていたのですが、まさか凍傷とは思いませんでした。それと、手先がシビレていたのですが、それは疲れのせいだと思っていました。これも凍傷とわかりましたが、幸いにも治療をするほどではありませんでした。
ギルマンズ・ポイントからウフル・ピークまでの往復は2時間ほどかかったのですが、身を切られるような寒風が吹いていました。残念ながら気温を測定していないのですが、ヤッケのフードが顔から離れた状態で凍ってしまい、耳までも凍傷しました。手は通常のスキー手袋だったのですが、充分でなかったのです。ガイドのヘディックさんは厚い手袋を2枚していましたし、
[72]の写真でおわかりのように彼は顔も帽子やマフラーで覆っていました。下の写真は「軽はずみに登っちゃいけないよ」と言っていますが、装備の点で充分でなかったことを認めます。
額や耳の凍傷はダルエスサラームに帰って、かさぶたが剥がれましたが、アザにはなりませんでした。手先のシビレはこの後2ヶ月間、日本に帰国しても続きましたが、徐々に回復しました。
【LOG in BLOG】05.4.7
子供たちの春休みが終わりかけて、やっと桜が咲き始めました。
神戸はまだまだ肌寒い日が続いています。奥須磨公園にて。