東京だけは山に遠いが、日本の国民は大てい山を見ながら育った。
日本人ほど山を崇び、山に親しんだ国民は、世界に類がない。
昔から山に縁があり、どの芸術の分野にも山を取り扱わなかったものはない。
近年、登山ブームと言われるが、それはただ一時におこった流行ではない。
日本人の心の底には、いつも山があったのである。
「日本百名山」 深田久弥・著 新潮社
ジャーン! これがキリマンジャロに登頂した証明書である。
世界中いろいろな山があるが、このようなものを発行してくれる所はあまりないでしょうね。
金色の枠がついているのはウフル・ピーク(5895m)に登頂した証しである。ギルマンズ・ポイント(5690m)で折り返した場合は銀色となる。ガイドや公園管理者のサインがある。
一番下に9980/04という数字があるのは2004年では9980番目に登った人という意味のようだ。3月〜5月の雨期はあまり登らないでしょうから、一日平均の登頂者は40人ぐらいとなる。
額縁はダルエスサラームで1000円で買ったものである。上下に象、左右にキリンが彫ってあり、素朴さが気に入っている。ま、則二にとっては掛け替えのない宝物であり、登山をする人に見せると「オッ」と言ったまま言葉を失うほど驚いてくれるのが、なんとも楽しいのである。
この証明書を発行してくれたのが、マラング・ゲートの中にあるキリマンジャロ国立公園管理事務所のこの方である。Kelvin Mollelさん。日本語が多少しゃべられる愉快な人である。
則二がゲートに到着するまで、美枝子はこの方に「キリマンジャロの歌」を教えてもらたりしながら時間をつぶしていた。「タンザニアでの一番のボーイフレンド」と美枝子は言っている。
マラング・ゲートからキボ・ホテルに行き、レンタルの寝袋やウェアを返却した後、この日は人口10万人の街のモシまでクルマで行き、ブリストル・コテージというホテルで泊まった。
翌日は早朝にダルエスサラーム行きの高速バスに乗らねばならないのだ。その間、移動はすべてキボ・ホテルのドライバー兼レストランスタッフのコリさんがやってくれた。
ブリストル・コテージから見るキリマンジャロは壮大であると評判なのだが、この日、厚い雲に覆われていた。
JATAtoursが計画してくれた「山を見ながら美酒を飲む」には至らなかった。
「山を見ながら」と言えば、上記の一文、深田久弥が「東京だけは山に遠いが…」と書いているが、日帰り登山をする場合、東京の人が最もバラエティ豊かな計画が可能ではないかと思う。
見ただけで登りたくなるような山が東京の周囲には数多くある。関西人としてはうらやましい。
ま、隣りの芝生はきれいだと言っているようなものなのだが…
「山好きな日本人」を自認する我々であるが、今回、キリマンジャロ登山にチャレンジするには不備な面があった。実は、二人とも登山靴をタンザニアに持って行ってなかったのである。
則二は数年前から普段履きにしていた、ソールが磨り減ったサロモンの軽登山靴。美枝子は旅行用として買ったアディダスのアドベンチャーというウォーキングシューズ。いずれも6000m級の山に登るには相応しくないものである。キボ・ホテルの登山用具レンタル室には登山靴も準備されているのだが、履き慣れない靴で長時間歩く気にはなれなかった。飛行機の「荷物は20kg」という制限は我々のような長期滞在型の旅行には厳しすぎる条件で、持って行きたくても持って行けなかった物がたくさんある。その「恨み節」をエピローグで書きます。
【LOG in BLOG】05.4.10
例年より少し遅れて桜のシーズンに入りました。神戸市西区桜が丘という住宅街の桜です。
桜が丘の桜がきれい…と聞いて駆けつけたのですが、町名と町の名物が一致しているのがいい。