遊行の豹の求めし夢おぼろ
破風老(英名:Pablo 本名:本山隆史)
「キリマンジャロの白い頂き」の最終章は、
タンザニアにいる時から、この方にご登場をお願いすることに決めていました。
親しみを込めて、パブロさんと呼ばせていただきます。
10枚の写真はすべて昨年12月にパブロさんに送っていただいたもので、
本人ご了解の上で載せさせていただきます。
写真は美枝子が高山病で下山した翌日なのですが、キボ・ホテルでパブロさんと
再び出会い、一緒にマラング村をあちこち見学した時のものです。
ミシン縫いなど、若い女性たちが職業訓練をしている施設(6点)を訪問しました。
休校中の学校(2点)に行ったり、キリスト教の教会(2点)を見学した時のものです。
拝啓 本山パブロ様
早いものですね。あなたにお会いしたのは6カ月前になります。でも、マンダラ・ハットでお話ししたことが昨日のように思い出せます。お元気ですか。今、どこの国におられるのですか。
我がBLOGで言えば
[66]のところになるのですが、あなたは心ならずも登頂できないまま下山の途中。我々は登り始めて最初の山小屋(マンダラ・ハット)で、日本人同士がバンガローの4人部屋で一緒に泊まることになりました。久しぶりに日本語でお話しできること事態が嬉しかったのですが、山のこと、プロ野球のこと、長時間にわたってのお付き合い、有り難うございました。
「4500mあたりで何となく下山することにした」とおっしゃっていましたが、その気持ち、すごくわかりました。ご存じの通り、我が相棒が高山病で下山した後は、僕はひとりになったのですが、あの広々とした景色の中をテクテク歩くのは、何か、むなしさが付きまといました。
あなたも僕も昭和14年生まれ、65歳。登ることの体力よりも、心の拠り所をどこに持っていったらいいのかという問題がずっとありました。でも、まあ、僕は最後まで登りました。最後まで「登りたい」という意欲を失わないまま成し遂げたことを、今は不思議に思っている次第です。
パブロさんはアフリカの第二峰のケニア山に登頂しているし、ヒマラヤをはじめ、世界中の山々に登っておられるのがうらやましいのですが、いちばん印象に残っているのはあの話しです。
やはり山好きだったパブロさんのお父さんがお亡くなりになり、お骨を持ってネパールの不思議な滝「パタレ・チャンゴ(注1)」に行き、滝壺に骨壺を投げ込む…まるで映画のワンシーンを見ている感じです。遠くにはアンナプルナ、眼下にはパーディ川のゴルジュ帯。残念ながら僕はポカラに行ったことがないのですが、美枝子は3日ほど滞在したことがあります。
パブロさんは生まれも育ちも関東なのに、プロ野球はタイガースファン。僕もそうだし、同い年なので出てくる回顧シーンがピッタリ。でも、話しの中心はヤクルトの古田敦也選手でした。
考えてみれば、昨年は優勝云々を除外したら、古田敦也が最高殊勲選手だった。彼の強いリーダーシップがなくて、ナベツネ流にプロ野球が旋回していたと想定したら、背筋が寒くなります。キリマンジャロの山小屋で日本のプロ野球を熱く語る…本当に素晴らしいひとときでした。
昨年10月はケニアの奥地(キスムでしたか?)で水資源のお仕事をされていたのですが、それが一旦終わり、年末に埼玉県のお宅に帰られていました。年賀状にはOut of Africa(注2)と書いておられましたが、今度はどこの国に行かれたのですか。南米あたりかなと想像しています。
申し遅れましたが、いただいた
Diamoxは効きました。あの秘薬のお陰で登頂できたと言っても過言ではありません。それと、マンダラ・ハットでパブロさんと我々夫婦ともうひとり、スウェーデン人の若者が同室になったのですが、彼とはずっといい仲間でした。ホロンボ・ハットの食堂で美枝子が3300mで下山したことを伝え、I am aloneと言ったら、彼もI am aloneと返答してくれ、それ以後、I am aloneが彼と僕の挨拶用語になりました。それと、
ギルマンズ・ポイントからウフル・ピークに向かう時、誰がトップで下山してくるかが関心事でしたが、予想通りミスタースウェーデンでした。あの1m90cmの長身と足の長さは伊達じゃなかったですね。
まだまだ書きたいことはたくさんありますが、この辺にしておきます。お元気で。
(注1)ネパールの第二の都市であるポカラの滝の名前。ポカラ空港から言えば3kmほど南西。
ペワ湖から流れる水が地中に吸い込まれる様子が異様である。Deviというスイス人の女性
が滝壺に落ちて不明になったことから、Devi's Fall(ダビッド・フォール)とも呼ばれる。
(注2)デンマークの女流作家であるアイザック・ディネーセンの長編小説「アフリカの日々」の
原題。パブロさんはディネーセンが大好きで、ケニアのナイロビ郊外にあるカレン・ブリ
クセン博物館には日本からご家族を呼び寄せて訪問しておられます。
[15]参照。
【LOG in BLOG】05.4.14
タンザニアのフローレンス夫人よりE-mailを届きました。読みにくいので日本語を添えます。
Dear Yonezawa family,
Koko wa mina genki desu, Tanzania wo ame ga aru choto samui desu.Aritai desunee.
We want to see you too. Missing you a lot our very dear.
Regards Florence.
親愛なる米沢ファミリー。
こちらはみんな元気です。タンザニアは雨が降り、ちょっと寒いです。会いたいですね。
私たちも会うことを望んでいます。心から親愛を寄せているあなた方に会えなくて寂しいわ。
敬具 フローレンス。
タンザニアの3〜5月は大雨期です。だから、少し寒いと思いますが、日本の冬のように寒いわけではありません。上の写真は三ノ宮駅付近。2001年12月、フローレンス夫人と当時5歳のカルビンくんが帰国する時のものですが、彼らには日本の冬の寒さは耐え難いもののようでした。