ヨーロッパの商人たちはアフリカの奴隷を南北アメリカ新大陸に運び、
綿花、砂糖、タバコなどと交換した。それらの商品を
ヨーロッパに持ち帰って売り、奴隷を入手するための品々を購入した。
この三地点を循環する取引を「三角貿易」と呼ぶ。
「アフリカ全史」 那須国男・著 第三文明社
アフリカ人奴隷の代償として支払われたヨーロッパの品々の中で、
もっとも喜ばれたのは銃と弾薬だった。アフリカ内陸部では食うか食われるかの
壮烈な戦争が部族間で続いていた。相手部族の捕虜を奴隷として売り渡し、
その見返りとして銃と弾薬を手に入れるという悪循環を繰り返していた。
「アフリカのこころ」 土屋哲・著 岩波ジュニア新書
[80]に記したハイネ詩集によると奴隷を入手するための品々は「ブランデー、ガラス玉、金物」と書いている。このような生活用品と物々交換していたのである。罪深い話しである。
アフリカの奴隷は「物」として扱われ、「所有」することができたのである。
さて、バオバブという樹木をご存じでしょうか。アフリカのサバンナ地帯特有の植物である。
あちこちで見かける太くて大きな木なのだ。その中でも別格にデッカイのがバガモヨにあった。
幹の外周が12.5mで、高さの表示がなかったのだが、ご覧の通り、堂々としたものである。
幹の下の所にこのような年表があった。植樹したのが1868年とある。スエズ運河が開通し、リビングストンが活躍していた時期だ。アメリカ合衆国の奴隷解放が1865年である。このバオバブはバガモヨが少しずつ平和な町に変わっていく姿をジッと見ていたに違いない。そう信じたい。
そして、今のバガモヨは平和なパラダイス・タウン…リゾートとして売り出し中なのである。
バガモヨはダルエスサラームから北へ72km。マングローブが生い茂る海が美しい。
ヤシの木に囲まれたビーチサイド・ホテルのプールは都会の喧噪を忘れさせてくれる。
レストランはインド洋の新鮮な魚介類を生かした多彩なメニューだった。
ワンブラ医師はバガモヨで何人もの友人と挨拶していた。エリートが集うタウンでもあるのだ。
【LOG in BLOG】05.6.10
LOG(日記)としては変則になりますが、6月10日の「東アフリカの風」というイベントで出たアフリカ料理をご紹介します。ご覧の通り、一皿ものですが内容は多彩.。久々の本場の家庭料理!
写真中央のご飯は「ピラウ」と言い、タンザニアの炊き込みご飯で、スパイスたっぷりです。
右よりは「ムチュズィ」。チキンと豆を主にした、トマトとココナッツミルクのスープです。
左上の緑色は「ムチャチャ」と言い、ほうれん草のココナッツミルク炒めの付け合わせです。
左下はサラダ「カチュンバリ」。ライムと塩で味付けしたサッパリ味はアフリカン美味でした。
これらの料理を作ってくれたのが、大阪を本拠地にする「ダダムビラ」という二人の女性ミュージシャンなのである。リンバに特殊な響板を取り付けた楽器を駆使しての演奏もなかなか。