「ウジャマー社会主義」(ujamaa=家族的な連帯感)
植民地時代にはびこった資本主義の芽を摘み取って、理想的な社会主義国家を建設すること。
そのことで劣等民族のように見られてきたアフリカ人の尊厳を取り戻せると考えた
ニエレレは、国民の圧倒的多数を占める農民に対して、わかりやすい言葉で語りかけ続けた。
「新書アフリカ史」 宮本正興・松田素二・著 講談社現代新書
我々は2カ月間にわたるアフリカ旅行だったが、ダルエスサラームやナイロビなどに長居をしていて、「国民の圧倒的多数を占める農民」とは接する機会がないままに終わろうとしていた。
ところが、そのチャンスが思わぬ所から浮かびあがったのである。到着した日は見とれていた
美しい海が、翌朝、干潮時にこのように広々とした陸地になったのだからビックリ仰天である。
干潟(ひがた)と呼ぶべきなのか、砂州(さす)と呼ぶべきなのか。後からわかったことなのだが、
この干潟は海岸から2km以上も先まで伸びていて、その先端部まで行くとサンゴ礁が海面から顔を出しているという。そして、さらに向こうはマンタやジュゴンが棲む深い海になるらしい。
我々がこの現象に気づいたとき、300〜400mほど先の干潟の上に100人以上の人びとが立っていたのである。バンガローの周囲には民家が見あたらないのだが、どこから来た人たちなのだろう。
近づいてみて、それが女性の農民であることがわかった。海の底には海草の畑あったのである。
帯状に海草が植え込まれていて、周囲には畑の範囲を示すための木の棒が立てられている。
さて、この海草は何なんだろう。形はサンゴに似ているが柔らかい。
手もとに保育社の「原色図鑑・海藻」があり、ベニモズク、コナハダ、フサノリ、カギノリ、スギノリなどが形は似ているのだが、いずれも岩の上に生育する種類とある。
このように砂の上に生育するものは珍しいようだ。それにしても大量に収穫されている。
ちなみに、この写真は畑でない所で撮ったものだが、日本でもお馴染みのアマモという海草と馬糞雲丹(バフンウニ)であろう。アマモは砂の上に育つと図鑑にも書いてある。
もうひとつは、この矢じりの形をした貝である。
周囲においしそうなウニがいっぱい転がっているのに、それには見向きもせずに、砂の中から
「矢じり」を探し出すのである。この貝の名前も図鑑で調べたのだがわからない。
三浦砂織さん、この海草と貝、何かわかりましたら、教えていただけませんか。
今回の最終画像は気に入っている一枚である。ここでは、そこそこ年輩の女性が多かった中で、若い娘を見つけた。頭に巻いている
カンガは頭上で荷物を運ぶためである。左は彼女の母親か。ミレーの「落ち穂拾い」のような姿をしている。腰が弱い日本人には真似ができない姿勢だ。
お気に召した方はダウンロードをどうぞ。解像度を少し高めにしてあります。
【LOG in BLOG】05.9.1
お前がやってるブログというのか、紙芝居みたいなアレだけれど、
エエカッコしすぎじゃないの。もうちょっと失敗談とか、
恥をかいた話しを入れないと、リアリティがないよ。[仕事上の先輩の談]
それはそうなんですが、失敗談なんて、ないですね。言葉が達者で、旅なれた方ならともかく、我々は流れるように流される旅だから、冷や汗をかくことなんてなかった。道に迷ったり、ショッピングのときに金銭的にごまかされるとかはあったが……(それも少なかったなぁ〜)
日本に帰れば失敗談なんて、いっぱいあります。これが、そのひとつです。
夏が終わり、Tシャツのバーゲンがあり、買ってきたものでアイロンプリントしたのですが、見事に逆さまです。インクジェットで印刷する段階で間違ったのですが、このTシャツは着ます。
イラストは
Kalfan M. という画家のティンガティンガ をレタッチしたものです。
KILIMANJAROの文字は
ミネラルウォーターのラベルからスキャンしたものです。