マイクロバスに似たフォルクスワーゲンのライトバンをドイツで買って、ケニアに送った。
四輪駆動でなかったので、何か警告されるのではないかと迷いました。
でも、ベッドやガスレンジ、冷蔵庫を備え付けたワーゲンの快適さは正しい選択でした。
「サファリ 東アフリカ野生動物日記」ギュンター・ツィズラー アンゲリカ・ホーファー共著
舟木嘉浩・舟木秋子・訳 旺文社(1985年刊) 上記は編集顧問ニゲル・シットウェルの序文
「この写真なら、昔、見たことがある」と言われる方がおられるでしょうね。
左の女性は動物学者のアンゲリカ・ホーファー。この本での動物行動の描写が世間をアッと言わせた。背後の木立の中を雄のゾウが歩いている。そして、右のレトロな雰囲気のフォルクスワーゲンには家財道具一式を積み込んである。撮影がギュンター・ツィズラー。彼はこの本を契機に世界中の野生動物の写真を発表することになる。1981年、マサイマラ国立保護区での一枚。
(以下、我がサファリ、
ンゴロンゴロ自然保護区の写真が3枚続きます)
冒頭の書籍「サファリ」にも書いてあるのだが、1980年代、すでにサファリ・カーと言えば、
英国車のランド・ローバーがいちばんの人気車であった。それがいつの頃からだろうか、多分、
この10年以内の現象ではないかと思うのだが、サファリ・カーも、タウン・カーも
日本車の時代になったのである。 (以下、ダルエスサラームでの写真になります)
ダルエスサラーム空港に到着した時のことである。出迎えてくれたワンブラ医師に街路を見ながら
「タンザニアで走っているクルマ、ほとんどが日本車だね」と言ったら、「ほとんどじゃない。100%だよ」と彼は言って、ニヤッと笑った。日本人である我々へのお世辞なのかなと思った。
でも、そうでもないことが次第にわかってきた。何事につけ、100%というのは危うさが漂う。
それも日本で使っていた中古車をそのまま輸入する場合が多いわけだから、このように
日本でのオーナーが描いたペインティングがそのまま残っているクルマもよく見かける。
このトヨタのハイラックス・サーフの前に立っている長身のハンサムボーイはアマティ・ワンブラさん。ワンブラ医師の実の兄であリ、Bac companyという会社の社長さん。何をしている会社かわからないのだが、お金持ちである。ワンブラ夫妻と我々がザンジバルに行くとき、渡船場までワンブラ家のクルマで送ってくれたのだが、途中「ガソリンが足りないよ」と言って、自分のポケットマネーでガソリンを補充してくれた。そんな時、タンザニアでいちばん売れっ子の内科医であるワンブラさんが、いかにも「弟」という顔になる。仲良しの兄弟なのだ。
アマティさんは我々にスワヒリ語を丁寧に教えてくれたし、日本の文化にも興味を持っていた。
奥様も素敵な方で、一緒に食事をするのが楽しみだった。これは牛カツをご馳走した時のもの。
写真、右側がアマティさんの奥様、左がフローレンス夫人。
【LOG in BLOG】05.11.4〜5
「旅芸人の記録」
映画の題名みたいだが、11月4日から5日にかけて体験しましたことを記録します。
[94]の【LOG in BLOG】で予告を入れたのだが、「東アフリカのトーク&ライブ」早川千晶、大西匡哉、サカキマンゴーの三人組が1カ月半にわたって、日本全国、旅まわりしました。
これは終盤の2日間を「追っかけ」した記録である。4日夜は三人組に我が家に泊まってもらい、「民宿のおじさん、おばさん」も経験しました。写真はすべて5日のハービスプラザでのもの。
4日午後3時30分、早川千晶が神戸市灘区の海星女子学院で高校の社会福祉グループの生徒8人の前で
キベラの子供たちについての講演をする。生徒たちはこの1年間、キベラの子供たちへの助成金を集める取り組みをしたいとの抱負を述べる。たくましい!…サイドで見ていた我々の感想。
同日午後5時、西宮市の関西学院大学の中央芝生で「AFRICAN MUSIC JAMBOREE」が始まる。大西匡哉とサカキマンゴー、そして、南アフリカ共和国出身で日本在住のマリンバ奏者のジョセフ・ンコシの3人が3時間以上にわたる熱演。寒くて、まっ暗がりの中、学生たちは踊り狂った。
イベントが終わり、我が家に集合したのは午後11時すぎ。三人組は疲労こんぱい。短めに酒盛り。
アフリカで食べられないのはレンコンだけという話になって、急遽、レンコン料理になったり…
翌日(5日)の朝9時、サカキマンゴー運転、大西匡哉ナビゲーションのワンボックス・カーに、楽器、PA、パソコン類、生活用品を積み込み、荷物の間に早川千晶が乗り、我が家を出発する。
大阪市北区梅田のハービスプラザの広場で大西匡哉とサカキマンゴーの31歳コンビが、午後0時30分と午後3時30分の2回、演奏する。好天にも恵まれ、常連客、通りがかりの人たちを魅了。
大西匡哉はケニアのドゥルマ民族の太鼓、サカキマンゴーはタンザニアのゴゴ民族のリンバ…
国が違い、流派が異なっているのだが、この二人、いつも不思議なぐらい息があう。
大西匡哉がケニアのダンスを披露すると、それに乗せられて観客も踊る。
これはタンザニアで古くから伝わる病気などを治す音楽による祈祷である。
この時、美枝子はダイエットを祈願したが、今のところ効果が出ていない。
特筆したいのはCDが売り切れたこと。販売係の早川千晶が「ごめんなさいね」と謝っている。
キベラの子供たちの歌
「TWENDE NYUMBANI」は、今後は日本でのプレスになるらしいが、早くても12月にならないと手に入らないようだ。この日は注文だけを集める。
サカキマンゴーのソロアルバム
「limba train」、大西匡哉が録音した力作
「SENGENYA」は、この日でともに完売する。彼らは自分のCDが売れるたびにサインをサービスする。
午後5時45分、早川千晶のスライドを映しながらのナイロビのスラム街のキベラの講演となる。
「スラムとは何か」など、多岐にわたっての話しだったのだが、ひとつ、エピソードを。
[24]と
[25]で述べたように、キベラのマゴソスクールの子供たちは素晴らしい歌を聴かせてくれるのだが、今年6月、学校対抗の音楽コンテストに出場することになった。伴奏は生徒が叩く太鼓だけ。きれいな舞台衣裳も作った。で、結果なのだが、地区大会は初出場で見事に初優勝。そして、県大会は各人がノリノリで力みすぎて第4位だった。全国大会は出場できなかったのだが、次回の必勝を期している。出場校はもちろん経済的に恵まれた学校が多いわけだが、破れた運動靴を履いた彼らの元気いっぱい歌が高く評価されたのである。頑張れ、キベラの子供たち!
この翌々日(7日)、早川千晶と大西匡哉はケニアに帰国する。
サカキマンゴーは関西を中心に演奏活動を続けている。
なお、我々のステイ先のワンブラ医師は2年間ほど、大阪外大スワヒリ語科の講師を
していた時期があり、その時、サカキマンゴーは教えてもらったと言ったので、
このハービスプラザでの写真を添えて、E-mailで問い合わせたところ、
タンザニアからこのような返信が届いた。
「Sakaki san wa yoku oboete imasu. Wambura」
サカキマンゴーって、結構、印象的な生徒だったのだ。さすがだなぁ〜!
JATA toursの根本社長から、11月24日、こんなE-mailをいただきました。いい話しです。
ダルエスサラームは今小雨季のさなかで雨足が遠くから近づいてくるのが良く分かります。
雨が過ぎた後はさっと涼しくなるのですが、しばらくするとムッとした暑さが蘇ります。
ブログにマンゴーさんや千晶さんの写真が載り、拝見しました。
今回は
ザウォセの娘さんの訪日とマンゴーさんたちのツアーが微妙に合わなかったので、
共演は実現しませんでしたが、次回は何とかと思っています。根本利通
(楽しみだなぁ、来年が。プロモーターとしての根本社長、よろしく、よろしく)