この美しい海はインド洋です。
日本から言えば、東南アジアを通り抜けて、インド洋に出て、
その遥か彼方、アフリカ東海岸からの第一報です。
ご無沙汰しました。9月11日、日本を出発しましたので、今日、30日で20日目になります。
[09]を入れてから、22日間のブランクになってしまいました。ご心配をおかけしました。
旅行は順調に進んでいます。食事がノドを通らなかったり、37度台の熱が出たりしましたが、大体は、我々夫婦も最初の2週間だけ同行の娘の佳織も、元気にやっています。
佳織は23日、帰国の途に着き、すでに東京にいます。
まずは6日間のケニアがあり、タンザニアに移って2週間目になります。今は市街地が眼下に見おろせる丘の上…ダルエスサラーム大学のキャンパスの中の
ワンブラさんの家にステイしています。
上の写真は一昨日のもの。ワンブラ家の使用人たちと美枝子が縄跳びをして遊んでいます。
このようにブログが遅れた理由には次ぎの2つがあります。
ひとつは旅行が思わぬ方向にむかった事です。
[03]で「観光旅行にはほど遠い…」と書きました。ゆっくりとした旅行をイメージしていました。ところが、これまでの所、旅行社が企画するツアーよりも多忙なスケジュールになってしまいました。仕事でアフリカの事をときどき書いているにもかかわらず、7年ぶりの現地となった佳織から「あそこに行ってみたい。これも食べに行きたい」と次々とプランが生まれました。我々もその路線に乗せられたのです。
ふたつ目の理由は、実は、これまでにインターネットを繋ごうとしたのですが、繋がらなかったのです。1回目のチャレンジはナイロビでした。5泊した
シルバースプリングホテルには親切な支配人と熱心なコンピュータ係の方がいて協力してくれました。ケニアでの3日目の午後、宴会会場の片隅に我々のためのインターネット室のようなものを設けてくれました。背後では夜の宴会の準備をホテル従業員が楽しそうに進めていました。そんな中で「ああでもない。こうでもない」と1時間半にわたって悪戦苦闘しましたが、繋がりませんでした。
コンピュータ係の方が気の毒がって「あなたはそのパソコンを持って私のクルマに乗ってください。JICA(国際協力事業団)に一緒に行きましょう。そこには日本から持ってきたパソコンでインターネットをしている人がたくさんいます」と言ってくれましたが、その親切で適切な申し出を上記のひとつ目の理由、「次ぎのスケジュールがありますから」と断ってしまったのです。
2回目〜4回目のチャレンジは1週間以上後になりますが、タンザニアです。ステイしているワンブラさんの家から歩いて3分の所にダルエスサラーム大学の校舎(上の写真)があり、その一室にインターネットルームがあるのです。約30台の富士通のデスクトップが並んでいて、いつも大学生で溢れています。そんな所に我が愛機(iBook)を持ち込んで、席を設けてもらいました。
そこには指導員の方がいるのですが、繋ぎ方について質問してもIP addressなどを見せて「これでどうぞ」と言った感じであまり協力的ではないのです。毎回、20〜40分ほど座っていましたが、行列をして待っている学生を見るとあまり根気強くやる気がしなくて立ち去りました。ま、これで繋ぐことができないのは、こちらの方が悪いのでしょう。
この無数に並んだトタン屋根を見てください。ひとつひとつの屋根の下で家族が肩を寄せあって生活しているのです。
[06]で「ケニアで一番行きたい所はキベラ」と書きましたが、実現したのです。人口80万人。世界屈指の大スラム街はどのような問題を抱えているのか。
ケニア篇では
キベラからのリポートが中心になることを予告しておきます。
ジャングルからヌッと巨大な
アフリカ象が出てきた時は身が震えました。勇気を振りしぼって「ようこそ」と手をあげたら、彼は小さく鼻を持ち上げて応じてくれました。(ホンマかいな) タンザニアに移って、すぐ、ンゴロンゴロ自然保護区でサファリをしました。世界中のナチュラリストが集まるこの美しい公園はある転機を迎えています。タンザニア篇は地形的に恵まれて、「動物たちの楽園」の名にふさわしいンゴロンゴロ自然保護区でスタートします。