いつもいつも、アフリカの風は爽やか。
来る日も来る日も来る日も、アフリカの空は同じ色で明け、同じ色で暮れる。
季節とか、天気予報といった言葉を忘れるような、
変化することのない、素朴で、ゆったりとした時間が流れる。
一昨日、雨が降りました。スコールのような激しい雨が2時間ほど続き、サッとやみ、本来のアフリカの空に戻りました。こちらの人は傘を持たないので、ビルや木陰で雨がやむのを待ちます。こちらに来て3週間目になりますが、雨にあったのは初めてです。3〜5月の雨期以外は好天が続くようです。お世話になっているワンブラ家の庭は池のような水たまりができました。
今朝7時ごろ、屋外で人の声がするので出てみると、ご主人のワンブラさんが出勤しようとクルマを出しかけたら、水たまりに車輪をとられ、動かなくなっていました。みんなで押してみましたがダメでした。でも、この家は、ご主人と、主婦というよりはキャリアガールのフローレンス夫人の二人が運転をするのですが、クルマは3台あります。彼ら二人はいそいそと出て行き、庭に動かなくなった日産のキャラバンというワンボックスカーだけが取り残されました。
ここからが居候を決め込んでいる則二の出番です。泥だらけになりながら、ジャッキで沈んでいる車輪を持ち上げ、その下に石ころを入れ、難無く泥沼からクルマを救出しました。30分ほどの作業でしたが、今、学校が休みに入っている8歳のカルビンくん、この家の警備に当たっているアスカリおじさんなどから、尊敬のまなざしを向けられ、ウ〜ン、気持ちがいい!
前回の[10]でインターネットが繋がらなかった話しをしましたが、どうして繋がったかを書いていませんので、少し記しておきます。
10月の中旬、
キリマンジャロ登山を計画していますが、そのプランニングとマネージメントをお願いに
Japan Tazania Toursという旅行会社を昨日訪問しました。ここには根本利通さんという日本人の社長さんがいて、親切に相談にのってくださいました。ひとしきり登山の話しをした後で、この初対面の社長さんに「インターネットが繋がらなくて困っている」と言いましたところ、即座に「じゃあ、うちでやってみなさい」との返事をいただきました。
こんな事になると予測して持ってきていた我がノートパソコンを取り出し、電話線を差し込み、やってみたところ、最初はダメでした。ところが隣のデスクに東京工業大学大学院の佐藤哲博士がいて、やはり自前のノートパソコンで何かお仕事をされていました。この方がこちらのパソコンをのぞいてくださり、「このカンマは1つ書いてあるが、2つ打ちなさい」とマニュアル本にも書いてないような裏技を伝授してくださり、その通りにすると繋がったのです。日本のADSLと比べると3〜4倍の時間をかけて、3週間分のE-mailが80通、流れ込むように入ってきました。
続いてホームページも開いたのですが、かなり遅いことがわかり、博士に大学の光ファイバーで作業をしたいことを伝え、設定方法のアドバイスを受けました。ブログの
海外版第一報[10]が送れたのは、その日の夜おそく、ダルエスサラーム大学の
インターネットルームからです。
多分、このブログを見てくださっている方の中には、海外から原稿を送ることを考えておられる方が多いことでしょう。そんな方のためにも、もっと論理的に記述しないといけない事ではありますが、今の我々にはこれ以上、書くことがありません。日本に帰った後、プロバイダーの方などと話しをした上で、もう少し詳しくエピローグで書きたいと思います。
明日、楽しいプランが舞い込んできました。ワンブラさんの友人の
結婚式に我々が飛び入りで出席させていただけるのです。4時間におよぶ結婚式とのこと。美枝子は街頭のネールアーチストを捕まえ、手と足の指に描いてもらい「準備OK」とご機嫌。結婚されるのは「ガバメントの人」と聞かされています。日本ならびに日本人の印象を悪くしないように努めたいと思います。
「ブログの再開にあたって」というタイトルでいろいろ書いてきましたが、インターネット歴1ヵ月少々の我々にも海外から原稿を送れるという有り難さと楽しさを伝えたいことが第一です。
二番目としては娘の佳織が帰国の途に着いた23日までは観光旅行的でしたが、24日以降は滞在型になってきたこと。今のところ、どうにか元気にやっていることをお伝えしたかったのです。
上の写真はナイロビのファーストフード店。日本のハンバーガーと違って、ドアがないことにご注目。屋根に書いてあるCHAKULA(食事)とTAMU(おいしい)は外食する時の必須用語である。
この写真はダルエスサラーム大学内にあるガーデンレストランでイッパイやっているところです。
ナイロビでもダルエスサラームでも四季を通じて冷暖房が不用なので、食事も飲むのもガーデンが圧倒的に多いのです。こんな気楽な時間を持つために遥々ここまで来たのかも知れません。
では、次号からケニア篇に入ります。