小学校は7年間在籍するもほとんど登校せずに形式卒業する。
中学校に入学するが、やはり登校しないまま中退する。
1980年、「登校拒否」という言葉がなかった時代の登校拒否児、15歳の高野少年は、
単身、タンザニアのムソマのスワヒリ語学校に入学し、初めて学ぶことの意味を発見する。
学校生活にも慣れて、スワヒリ語で周囲の人と話せるようになりかけた時に…
突然、後ろから腕をつかまれた。びっくりして振り向くと片腕をなくした、
ちょうど僕と同じような年ごろの少女がそこに立っていた。
金をくれ、恵んでくれと、まるで歌でも口ずさむかのように静かに言いつづけた。
何も食べていないらしく痩せ細り、身に着けているものもズタズタだ。
僕は思わず、ポケットに手をつっこんだ。
「僕の学校はアフリカにあった」 高野生・著 朝日新聞社
ミッシェルちゃん、元気かい。きっと元気いっぱいだよね。
あなたは、いつも輝いていた。まるで王女さまのように。
この時は2歳半だったが、今は4歳。きっと大きくなり、気高くなったことでしょうね。
あなたは理知的な顔をしているが、言葉数は少なかった。王女さまは多弁ではなかったのだ。
「バブ(babu・おじいさん)」「ビビ(bibi・おばあさん)」の2語しかしゃべらなかったのだ。
でも、その2語だけのイントネーションで充分にコミュニケーションができたから不思議だ。
「バブ」と「ビビ」の2語だけで、「朝だよ。ドアを開けて。いっしょに遊ぼうよ」とか、
「庭に出るから付いてきてね。でないと、叱られるから」と言っていることがわかるんだ。
今、バブもビビも日本に住んでいるのだが、ちょっと耳を澄ませば、
ミッシェルちゃんが「バブ」「ビビ」と叫んでいる声が聞こえてくるんだ。
そこで、ミッシェルちゃん。あなたにわかってほしいことが、ひとつあるんだ。
あなたの境遇って、タンザニアという国の中で、結構、特殊なのだということ。
このブログを見ている方は、ミッシェルちゃんがタンザニアにおける幼い子どもの標準モデルと思っているかもしれない。でも、そうじゃないんだ。王女さまなんだ。残念ながら…
この国には貧しい人びとが大多数を占めている。バブやビビはそんな方々と接する機会が少なかった。そして、接するチャンスがあっても、彼らにカメラを向ける勇気がなかった。
一見、ハッピーな感じに見えるんだけど、本当は貧しい人びと。
そんな方々が大勢いたんだけれど、どう接したらいいのか、わからなかった。
だが、その時だった。
「待つんだ。おまえは何をしようとしているのだ」と、もうひとりの僕が叫んだ。
少女に贈るものはいったい何なのかを、自らの生き方も含めて探しださねばならない。
そうする以外に、少女と同じ境遇にある人達を救えない。死を生かすことはできない。
手をふりきって立ち去りながら、他の人のほうに歩きだす少女の背に向かって叫んだ。
「許してくれ。力無いこの俺を!」
「僕の学校はアフリカにあった」 高野生・著 朝日新聞社
【LOG in BLOG】06.3.19
壮絶なブログを発見しましたので紹介させてください。
と言っても、我がブログでは何度かご登場いただいた方のブログではあるし、
今年2月23日にスタートしているので、すでにご存じの方も多いのかもしれませんが…
昨日の土曜日の午後、雨が降るので近所でのテニスは中止になるし、仕方なくパソコンの前にすわってネットをしていました。前回
[102]のLOG(日記)で書きましたように、ナイロビのキベラの11人の子供たちがケニア東部のミリティーニ村に移住したわけですが、その後、村の子供らと仲良く学校に行ったり、遊んだりしているのだろうかとツラツラと思いめぐらせていました。
と、何と、パーカッション演奏家であり、
CD「センゲーニャ」 などでケニア東部の音楽を紹介しているミュージシャンの
大西匡哉くんじゃないか。2年前からミリティーニ村に住み込んで、この村の演奏家との交流をはかりながら勉強している彼が、ブログを開いているではありませんか。
内容についてはブログをご覧いただきたいので、ここでは簡単に述べます。
ミリティーニ村に住む14歳の少年カテンベくんが腎臓を患い、現在、ナイロビの病院で透析などを受けているわけですが、病状は思わしくありません。そして、多額の治療費がいることがわかり、匡哉くんは「カテンベ腎臓移植基金」を立ち上げました。そして、これに賛同して、横浜の方々が、そして、福岡県の豊津町の方々が活動しているのです。ぜひぜひ、ご覧ください。
「カテンベ救済の呼びかけ」http://keepmusic.exblog.jp
「ウペポ〜アフリカの風ネットワーク」http://homepage2.nifty.com/upepo このブログを見て、即日(3/18)、激励するために匡哉くんにE-mailを出しました。
すると、匡哉くんはカテンベくんに付きっきりで手が離せないということで、
本日(3/19)、
早川千晶さんが代筆したE-mailをいただきました。
伝統音楽を学ぶためにやってきた太鼓叩きの匡哉がめざましく変化を遂げています。
私はいろいろな事を考え込んでしまい、呼びかけ文を書けるまでに1カ月かかりましたが、
匡哉は素直な気持ちの持ち主で、すぐに行動に移しました。
カテンベが生きていくことができますように、いつの日か、笑顔で学校に通えるように、
心からお願いします。カテンベを励ましてあげてください。
なお、ミリティーニ村に引っ越したキベラの子供たちは、
その後、本当に元気に、幸せに、楽しそうにしています。詳しくは後ほど。
ところで我がブログ、見ている人は見てくれているのですが、親友でも見ない人は頑なに見ないのです。そんな方々にもカテンベくんのことは知ってほしいということでチラシを作りました。
ナイロビの二人に確認のメールしましたら、3月27日、大西匡哉くんから返信が届きました。
チラシ拝見しました。ありがとうございます。
カテンべの病状はほぼ安定していますが、このまま生き続けるには、
とりあえず透析が不可欠であります。
しかし、現在の募金状況では2〜3ヶ月の透析で底をついてしまうので、
その場合、どうしようかと思っているところです。