タンザニアやケニアでは、ひとりの人がスワヒリ語、英語、自らの部族語の
3カ国語を使い分ける場合が多い。
しかも、4番目の言葉としてシェング(sheng)というスワヒリ語と英語の
合成したものが若者のあいだで流行しているらしい。
何という優秀な民族なのだ…と日本語しか話せない投稿者は拍手をする。
シェングでは友だちの複数形はmameniとなる。ma-は接頭辞で、英語のmenが語源。
語尾の-iは英語がスワヒリ語化するときに付くことが多いらしい。
似た言葉に、日本人=mjapaniというのがあるが、これはスワヒリ語。
やぁ、ミッシェルちゃん。いつも、少しだけ、あなたは寂しそうにしていたね。
近所のお友だちとも、ちょっと距離感をおいていたのが、気になっていたのだ。
ミッシェルちゃんは日本流に言えば、箱入り娘。外に出るときは、ママザマラーディさん、エリザさん、エリーザさん…使用人3人の内、ひとりはついて出ないといけない習慣になっていた。
使用人たちはそれぞれに忙しい。ミッシェルちゃんもそれがわかっているから無理は言わない。
庭で兄のカルビンくん達が遊んでいる時も部屋の中からそれをジッと見ている。そんな光景が多かったのだ。そこに救いの神が現れた。バブとビビ。つまり、私たち。恰好の保護者なのだ。
そんな事で、私たちと一緒に遊びに出ることが多かったが、外に出ると特別扱いされていた。
隣りの家の庭に行くと、そこの家の使用人から「ミッシェルちゃん、なかに入って遊ばない?」と言って手を差し出されるのだが、ミッシェルちゃんは頑なに室内には入ろうとしなかった。
他の子供たちはそんなことを言われようものなら、脇目もふらずに部屋の中に飛び込むのだ。
ミッシェルちゃんはみんなから愛されていた。だから、友だちづくりに性急に
なっていなかった。それでいいのかな。そんな風にバブとビビには見えたんだ。
さて、冒頭のシェングだけれど、なぜ友だちの複数形の語源がmenなのだろう。「友だち」と「人」が同意語という感覚は我々にはない。このことを理解するのに都合のいい言葉がある。
ハランベー(harambee)。もともとはヒンズー教の言葉で「神様、いらっしゃい」という意味。
アフリカには古くから相互扶助の伝統があり、その精神は現代社会においても消えることなく残っている。近親縁者や仲間同士はもちろん、何の縁もゆかりもない人でも、様々な場面での助け合いが行われている。ハランベーはお金が必要になったときに、周囲の人々がお金を出し合って助けるというもので、大きなものから小さなものまで日常生活の中で頻繁に行われている。
葬式を出すときや結婚をするとき、病気になり医療費が必要なとき、学校を建てるとき、子どもの学費が足りないときなど、ひとりの力では不可能なことも、大勢の人が力を合わせれば実現できることがある。だが、見ず知らずの人のためのハランベーが回ってくることもあるのだ。
「アフリカ日和」 早川千晶・著 旅行人
この赤の他人がお金を出し合う行為に対して、早川千晶は「多民族の入り乱れる国を
ひとつにまとめて引っ張っていくには、ハランベーが必要」という
支配者の理念にも
触れていますが、根本的には日本では死語になっている「袖すり合うも他生の縁」と
いう精神がアフリカには残っていることではないだろうか。
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【LOG in BLOG】06.5.5
5月5日に浜松市で「ハランベー☆パーティー」が開かれました。
投稿者は現地に行くことができなかったのですが、いかにも楽しそうだったのでお願いしたら、大橋弥生さんがE-mailに写真を2点添付して送ってくださいました。入稿させていただきます。
音楽仲間が次々と前に出て、即興演奏をする。音まで伝わってきそうな雰囲気です。このパーティースタイルはお手本にしたいものですが、我々凡人には真似できないものでしょうね。
「こどもの日だから、私たちが主役よ。カテンベくん基金のための募金箱づくりは任せてね。」
このパーティーに我がブログのキベラの子ども達の写真をプリントして展示してくださったのには恐縮しています。詳しくは
「ちびっこにっき ちびっこのおかしな日々」をご覧ください。