メモ帳
バブミッシェルの闘病記
107.ある発見までの 道のり 108.ある戦場への 旅だち 109.戦士のひとりごと(1) 110.戦士のひとりごと(2) 111.戦士のひとりごと(3) 112.外来でのGEM療法と その一週間 113.玉川温泉に 我が身をゆだねる(1) 114.玉川温泉に 我が身をゆだねる(2) 115.玉川温泉に 我が身をゆだねる(3) 116.玉川温泉に 我が身をゆだねる(4) 117.温暖化何するものぞ! 玉川温泉は雪の中 [プロローグ] 01.アフリカの水 02.アフリカの国々 03.アフリカの少年 04.アフリカの空 05.アフリカへの扉 06.アフリカの風 07.アフリカ象の悲劇 と アルーシャ宣言 と 08.心配な事いろいろ 09.行ってまいります [ケニア篇] 10.ブログの再開に あたって(1) 11.ブログの再開に あたって(2) 12.黄金のアラビアン ナイトから荒野へ 13.ホテルの人びと 14.地方都市ティカの 動と静 15.カレン・ブリクセン 博物館 16.大きな象と小さな象と キリンと 17.投稿者からのお知らせ 18.臨時ニュース 19.キベラから(1) 20.キベラから(2) 21.キベラから(3) 22.キベラから(4) 23.キベラから(5) 24.キベラから(6) 25.キベラから(7) 26.キベラから(8) 27.風に立つライオン 28.キムくん 頑張れ 29.マラリアの話など [タンザニア篇] 30.体験生活始まる 31.ワンブラ家の人びと 32.ワンブラ家の 使用人たち 33.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(1) 34.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(2) 35.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(3) 36.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(4) 37.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(5) 38.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(6) 39.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(7) 40.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(8) 41.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(9) 42.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(10) 43.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(11) 44.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(12) 45.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(13) 46.ンゴロンゴロの アニマル紳士録(14) 47.平和の家 48.エキゾチシズム 49.昔のアスカリ、 今のアスカリ 50.家庭料理 51.お風呂と 離乳食のはなし 52.ニエレレ小学校 53.大きな宣伝 小さな芸術 54.踊る結婚式(1) 55.踊る結婚式(2) 56.踊る結婚式(3) 57.踊る結婚式(4) 58.踊る結婚式(5) 59.踊る結婚式(6) 60.踊る結婚式(7) 61.ダラダラという乗り物 62.キリマンジャロの 白い頂き(1) 63.キリマンジャロの 白い頂き(2) 64.キリマンジャロの 白い頂き(3) 65.キリマンジャロの 白い頂き(4) 66.キリマンジャロの 白い頂き(5) 67.キリマンジャロの 白い頂き(6) 68.キリマンジャロの 白い頂き(7) 69.キリマンジャロの 白い頂き(8) 70.キリマンジャロの 白い頂き(9) 71.キリマンジャロの 白い頂き(10) 72.キリマンジャロの 白い頂き(11) 73.キリマンジャロの 白い頂き(12) 74.キリマンジャロの 白い頂き(13) 75.キリマンジャロの 白い頂き(14) 76.キリマンジャロの 白い頂き(15) 77.キリマンジャロの 白い頂き(16) 78.コーヒーのはなし 79.“民族衣装” カンガとキテンゲ 80.バガモヨ 我が魂ここに残す 81.バガモヨ 古い教会が建っていた 82.バガモヨ 悲しい過去からの流転 83.バガモヨ 夢の跡が残った 84.おしゃれ髪型への 長い時間(1) 85.おしゃれ髪型への 長い時間(2) 86.世界で最も美しい島 ザンジバル(1) 87.世界で最も美しい島 ザンジバル(2) 88.世界で最も美しい島 ザンジバル(3) 89.世界で最も美しい島 ザンジバル(4) 90.世界で最も美しい島 ザンジバル(5) 91.世界で最も美しい島 ザンジバル(6) 92.世界で最も美しい島 ザンジバル(7) 93.世界で最も美しい島 ザンジバル(8) 94.世界で最も美しい島 ザンジバル(9) 95.クルマと牛カツの話し 96.売っているもの 売っているひと 97.ティンガティンガと その仲間たちの絵 98.マコンデ彫刻 そこに至るまでの経緯 99.マコンデ彫刻 まっ黒な妖怪たち 100.クンドゥチ・ビーチ 輝く海と空と砂 101.クンドゥチ・ビーチ プールの情景 102.クンドゥチ・ビーチ ホテルほんのり 103.あるキリマンジャロ 登山隊からの報告 104.ミッシェルちゃんへの メッセージ(1) 105.ミッシェルちゃんへの メッセージ(2) 106.この盛りあがりは何だ アフリカンフェスタ06 [ジャパニ番外篇] バブミッシェルの闘病記 107.(1)〜117.(11) [リンク先] Webで堪能できる 七宝焼の世界 土田善太郎の 工房Uncle Z タンザニア旅行なら ここで決まり! JAPAN TANZANIA TOURS LTD. 佐野由美のホームページ オフィシャルサイト ブログの投稿者 米沢則二 米沢美枝子 タグ
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戦士のひとりごと(1)
7月18日(火) 7月13日に30回、1カ月半にわたって行う治療は、放射線治療と抗がん剤治療の併用であると書きましたが、まだ放射線治療について述べていませんので、少し書いておきます。 レントゲン博士が放射線を発明したのは1895年ですから、111年を経過。その間にこれほどまでに発展し、活用の領域が拡がるとは博士も想像しなかったでしょう。我々が普通使っている「レントゲン」という言葉は検査するためのものだが、ここでは治療用としての放射線になる。 治療用の放射線の一番の特徴は、病気の細胞に当たると容易に死滅させてしまうのだが、同じ量の放射線を正常な細胞に当てても受けるダメージは少ないということである。治療用の放射線には電子線、ガンマ線、エックス線の3種類があるが、バブミッシェルの場合、エックス線の治療である。エックス線は体の深いところの病巣を治療するのに適しているらしい。 バブミッシェルの患部はすい臓の頭部(上側)なのだが、すい臓というのは胃の裏側、かなり奥まったところにあると思っていただきたい。でも、この難しい位置にある臓器にも「リニアック」と呼ばれる放射線治療器はピンポイント照射をすることができるのである。7月7日に書いた、お腹や脇にマジックインキで描いた+マークを基点にして、照射技師が位置を決めるのである。前側から、背後から、右脇から、左脇から…と4方向から、それぞれ10秒間ずつ照射をしているのである。照射している時は「ビビビビ」とセミの啼き声のような音がするが、痛みなどはない。 このピンポイント照射は日本人の得意な分野なのかもしれないが、放射線治療そのものが日本は後進国なのである。がんに対する放射線治療の利用率は欧米の1/3とある。バブミッシェルのごとく、我が身を切ることに人一倍恐怖感を持っている者には良い治療法だと思うのだが、日本の医療はデータが少ないものに臆病になる面があるのだろうか。 バブミッシェルの場合、毎日、午前11時30分に照射をしているのだが、これには理由がある。すい臓が胃の後ろにある関係で照射時には胃が膨らんでいると難しくなる。そのため、照射前3時間30分は食事を摂ったり、水を飲んだりしてはいけないのだ。病院の朝食時間は8時なのだが、7時40分には食堂に行って待ちかまえていて、運ばれてきたものをサッと食べるようにしている。朝食の時だけが、何とも、いじらしいほど生真面目にやっているのだ。 7月19日(水) 前日(7月18日)に続いて、放射線治療の話しになります。 今年6月に成立した「がん対策基本法」で放射線治療の専門家を養成する必要性が盛り込まれた。手術よりも体の負担が少なく、臓器の機能を保つことができるため、高齢化が進む日本で広がることが期待できる。そして、マスコミも放射線治療に関する記事が多くなってきた。 そんな中で、アメリカの専門家の側からは日本のがん治療がどのように見えるかを紹介した毎日新聞の記事がありましたので転記します。語っているのはテキサス大学がんセンター放射線腫瘍科のリツコ・コマキ教授です。アメリカで30年以上医療に従事しておられる日本人の方です。 「日本では外科が、がん患者の治療を牛耳(ぎゅうじ)っているように見えます。がんが見つかれば、まず手術という流れになっているのではないでしょうか。日本には放射線科医が全国で500人しかいないそうですね。今、私がいるセンターだけで、放射線科医が50人、治療装置を開発する物理学者が60人、治療計画を立てる専門家が70人、放射線技師が80人います」 「日本人には放射線に対する恐れが残っているのだと思います。放射線が正確にがんに当たれば根治も可能です。患者への負担が小さい放射線治療はもっと広がるはずです。手術で摘出するだけが、がんの治療法ではないのです。放射線科医だけでなく、サポートする専門家を増やし、手術重視の常識を変えるべきです。患者を第一に考える治療方法を選択するべきです」 この記事を読んでバブミッシェルが最初に思ったのは、7月11日で記載した某週刊誌の「『がん総合』のいい病院」の記事のことである。ここでは「手術」は最重点評価になっているが、「放射線治療」は評価の対象になっていない。日本では比較できないほど小さな存在なのだろうか。ちなみに、我がC病院の放射線科医(他病院の兼任医も含む)は5人、放射線技師も5人である。 7月20日(木) 6階東病棟には47の患者用ベッドがあるのだが、入院患者の平均在院日数は23日と意外に短期の方が多く、その関係で常に空いたベッドが多い。ということで、この病棟の入院患者は通常40人ほどではないだろうか。その40人の患者に対して、1人の看護婦長と24人の若い看護婦さん(もちろん中年の方もいると思うが、白衣を着て働いている姿は若々しい)が当たってくれている。 24人と言っても、交替で休日出勤もあれば、夜勤もあるので、多忙なウイークデーの昼間でも10人少々で看護に当たっている。いろいろな職業を見てきたつもりだが、これほどまでに常に精神的に張りつめて、体を動かし続けている人たちを見たことがない。過酷さに感服する。 この看護婦さんたちの詰め所を「ナース・ステーション」というのだが、空港の管制室のごとく周囲を見渡せるように設計されており、病棟の中央に陣取っている。この部屋だけが24時間、眠ることがない。病室からの情報はインターホーンなどでここに集まる仕掛けになっている。 ちなみに、バブミッシェルも1日に2回はインターホーンでお願いして看護婦さんに病室に来てもらうことがある。それはお風呂の時間である。 お風呂は家庭用システムバスが病棟の一角にあり、40人ほどの患者が一人ずつ入浴するのである。朝9時から夕刻6時にかけて、交替で入る。ローテーションで順番が変わるので、午前のこともあれば、午後のこともある。お風呂は夕食後と決めている者には面食らう習慣ではある。 そのお風呂の時間になると、抗がん剤を点滴する器具「ラフィキくん」を一時的に切り離すのである。寝るときも、トイレのときも、いつも一緒のラフィキくんが、入浴タイムだけ別々になるのだ。切り離しには液が逆流しないように特殊な溶液をパイプに注入したりするので、看護婦さんの手を借りないといけないのだ。入浴後も看護婦さんに来てもらって繋いでもらう。 7月22日(土) 待ちに待った土曜日である。外泊が許可される。この日は忙しい。昼前にラフィキくんの点滴が終了し、看護婦さんに切り離してもらって、外出用の服に着替える。そこへビビミッシェルが迎えに来て、一旦は家に帰るが、準備されている荷物を持ってクルマで神戸空港に向かう。神戸空港…今年3月に開港したばかりなので、キャンペーン料金がある。新幹線よりも安く利用できる。午後3時35分に飛び立って、約1時間で羽田に着陸する。そこからは電車移動でJR横須賀線の西大井駅に下車。7月8日に書いた気功治療の積明(じゃくみょう)さんの家に向かう。(積明さんと気功治療に関しては後ほど詳記します) 7月24日(月) ある入院患者から病院の投書箱に意見が寄せられ、掲示板に掲出された。 「すき焼きの味つけが薄いうえに、春菊を加熱しすぎのため、苦みが全体に広がり食べられるような味ではなかった。こういう食事には春菊を使用することはどうなのでしょうか」 これに対する病院側の回答も同時に掲示された。 「春菊は緑黄色野菜を摂取することと、彩りの観点から使用していますが、今後は加熱しすぎることがないように調理の工夫をします。また、青ねぎに変えるなど、食材の検討をします」 バブミッシェルはこの短い文章でのやりとりの中に病院食の問題点が凝縮されていると思った。 病院食の基本のひとつに「なま魚」と「なま野菜」を避けるというのがある。 病院でもって、おいしいお寿司や刺身を食べたいとは思わない。予算のこともあるので、トレトレの鮮魚を患者に饗するのは難しいだろう。好みの問題があるので万人向けとは言い難い。 問題は野菜をどのようにおいしく、見た目にも美しく調理するかではないだろうか。 上記の提案者が述べているように、総じて煮込みすぎの場合が多い。消化を良くするためもあるだろう。安い輸入野菜を利用するときは、調理人の脳裏には農薬問題があるだろう。でも、原形をとどめないほど煮込んだ野菜には食指が動かないものなのだ。 もうひとつには食感を良くするには何をすべきかがある。野菜の場合は限りなく生(なま)に近い状態で食べることなのだが、運動不足な入院患者たちを見ていると不向きな感じである。 病院食の野菜の煮込みすぎは調理する側だけに否があるとは言い難い。むしろ、長年の経験上からこのようにならざるを得なかった経緯があると思う。でも、無農薬とは言わないが減農薬の、新鮮な野菜を仕入れることに努力していただいて、おいしい野菜料理を食べたいものである。 なお、上記の提案者の発言の中に「味つけが薄い」とあります。病院食を語るときによく出てくる言葉だが、C病院に限って言えば、それはないと思う。他の病院から転院してきた患者が「ここの食事は味つけだけはいい」とほめていた。味つけは塩分摂りすぎのこともあるので、そこそこにしておいて、濃い味が好きな人は調味料持参で食堂に向かうべきである。 7月25日(火) このブログは「戦う」とか「戦士」とか勇ましい言葉が出てくるが、「一体、あなたは何と戦っているの?」とたずねられると少し困るのだ。病院生活は楽しいし、肉体的な苦痛はほとんどないし、がんという病気は実体が見えにくいのである。相手がファイティングポーズで向かってくれば迎え撃つのだが、姿を見せずにコソコソ、ネチネチと静かに迫ってくるのだ。 放射線治療や抗がん剤治療は戦っている姿とは言えない。前者は技師に任せてジッとベッドに静止しているだけだし、後者は化学物質を静脈に流し込む作業を落ち度なく進めているに過ぎない。いずれも医師の指示に従ったパッシブな行動であって、戦っている実感はない。 そこで、昨日、7月24日に続いて食事の話しになります。 病院での一日を振り返って、あえて戦っている時があるとすれば食事の時間ではないかと思う。 午前8時の朝食、午後0時の昼食、午後6時の夕食とあるのだが、朝食はワンパターン。パンと牛乳ともう一品。もう一品がゆで卵であったり、バナナであったりするのだが、これを食べるのは簡単だ。問題は昼食と夕食である。毎日、食欲がわかないままに食べているのである。 G医師に相談したら、抗がん剤治療の副作用だろうということなのだが、食欲がわかないことが、これほどまでに苦しいことだとは思わなかった。毎回、食事前2〜3時間は食欲をわかせるための行動に出る。ラフィキくんと共に移動できる範囲で散歩をするとか、冷たい水を飲んで胃を刺激するとか、汗をかくような入浴方法にするとか…いろいろなことを試みるのだ。 もちろん、この問題はバブミッシェルだけのことではなく、入院患者の半数以上の人が苦しんでいるのだ。だから、入院したときに「食事量記入用紙」というものを渡され、患者各自で記入し、それを見て看護婦さんがパソコンに打ち込み、個々の患者のデータにしているのだ。 「食事量記入用紙」の記入方法について書いておく。○月○日の昼食のところに「8/7」と記入すると、おかずを8割、ご飯を7割食べたことになる。完食すれば「10/10」なのだが、朝食はほぼ毎日、昼食と夕食もどちらかが「10/10」になるのだが、もう1回は「8/8」から「5/5」ぐらいに落ち込む。食べ終わって残飯入れに残った食材を捨てるときの気持ちは例えようもないくらい辛い。 7月26日(水) 食事の話しが3日間連続になるが、実際に出される昼食や夕食の取り合わせについて書きます。 まずは、白いご飯。たまに、海藻などを炊き込んだものも出ます。 次いで、メインディッシュは近海魚が多い。なまはダメ。焼いたものもほとんどなく、煮魚が多いのです。一昨日書いた「すき焼」のように、肉と野菜を煮込んだものもよく出ます。 そして、小鉢もの。酢の物であったり、野菜を和えたものであったり。 最後は、みそ汁。妙に小さい椀に入っているのは、塩分摂りすぎを危惧してのことなのか。 この4品を乗せたトレイが、調理室から保温装置の付いたワゴンで運ばれてきます。自らの病室に運んで食べる方も多いのだが、バブミッシェルは食堂で食べる。 さて、この4品を食欲がないままに食べるには、どのようにしたら良いのかについて、先輩患者に教わり、実際にバブミッシェルが実行していることを述べます。 とりあえず、白いご飯には蓋をしたまま、おかずから食べ始めます。魚を食べ、和え物を食べ、口の中を整えるためにみそ汁を飲む。そのおかず3品が完食できたら良いのだが、できない時には「ここまで」と思うところまで食べる。 そして、ご飯に取りかかる。最初は家から持っていった梅干しを乗せたり、好きないかなごのくぎ煮と一緒に食べていたが、それでも食べられないことが多い。そこで先輩患者に指導されたのは、白いご飯の上にN園のお茶づけ海苔を振りかけて熱いお茶をそそぐという古典的な方法だったのである。もちろん、これで完ぺきに食べられるようになったのではないのだが、かなり満足できる結果が得られるようにはなった。 どんぶりを手に持って、お茶づけを流し込むように食べていると、ラストスパートという言葉が思い浮かぶ。何という味気ない話しだろう。 7月27日(木) 入院して3日目ごろだった。普段は挨拶しかしない6階東病棟の看護婦長さんが、我がベッドの横に立って「お願いがあります。神戸の看護学校から生徒が17人ほど、この病院に研修に来ます。その中のひとりをあなたの担当にさせていただいていいでしょうか。主として、お話し相手という感じになるのですが」と言われた。断る理由もないので「いいですよ」と返事をした。 7月18 日(火)の午前10時、看護婦長はひとりの学生を連れてきて「先日申しました学生です。今日から来週の木曜日までの8日間、話し相手をしてやってください。邪魔なときは遠慮なく本人に言ってください」と告げて、その場に学生をおいてナースステーションの方に帰ってゆく。 女子学生は淡いピンク色の看護服を着ていて、胸のところに学校名が書いてある。見るからに理知的で、バブミッシェルとしては、すぐに気分良く話し相手を努めることになった。 現役の看護婦さんの仕事を手伝ったりしながら、見習うのが研修なのかなと思っていたのだが、かなり様子が違っていた。脈や血圧を計ったりする以外は、看護の作業にはノータッチで、ひたすら一人の患者に対する話し相手とその身の回りのお世話をすることに徹していた。 バブミッシェルの場合、午前11時30分になると1階のリニアック室に行って放射線治療を行うのだが、その時も付いてきてラフィキくんや衣類の世話をしてくれる。まるで芸能人の付け人のような存在だ。親しい患者仲間から、やっかみのヤジが飛んできた。 「あんた、お殿様みたいだね。いつも家来を連れて歩いて。いいなぁ」 「セクハラには注意してくれよ。ここは名門の病院なんだ。世間話だけで我慢するんだよ」 彼女は福岡県出身だが、神戸が好きで来ている。看護婦になるためには5年間勉強するのだが、今、4年生。すでに准看護師の免許があるので、神戸の病院で週3日は公認のアルバイトをしている。でも、アルバイトができる時期と勉強が忙しくてできない時期があるため、私は苦労しているのですよ…と本人は言う。将来は福岡県に帰って看護婦になるかもしれないとも。 彼女の看護学校の最寄り駅は新長田駅と鷹取駅なのだが、バブミッシェルはその周辺のお好み焼き店とラーメン屋の情報を伝授したら、彼女はノートをつけながら聞いてくれた。福岡県の人らしくラーメンは豚骨系が好きだと言った。学校の先生になったような気分にさせらせた。 今日は彼女の研修の最後の日である。午後4時ごろ「お世話になりました」と言って、ピョコッとお辞儀をして、ニコニコと笑いながら帰っていった。あまり感傷的にならない方だが、彼女とは永遠に再会することはないのかなぁと考えると、寂しさが込みあげてきた。 7月29日(土) このブログの左上に写真も掲げているが、カテンベくんが大変なことになっていることが病院にいても情報として伝わってきた。外出が許可されたので、早速、家でそのブログを開いてみた。 英国方式の最高の医療機関であるナイロビ病院での治療を受けているのだが、27日の記述で「窮地を脱出」とあるのでホッとした。でも、この病院は医療費に問題がある。ブログにも「デポジットが100万円」とか「一日のICU治療費が34万円」と書いてある。外国人のための病院なのだろうか。医療保険等々がないので、まともに支払う金額のはずである。 日本の医療にも問題は多いが、今、そこに身を置いている者として、まだしもと思う。 8月2日(水) 昨日、32日ぶりのCT撮影があったのだが、その結果をどのような形で伝えてくれるのかが明確でなかった。朝食を終えてテレビの前でゴロッとしていたら、消化器内科のG医師が1枚の紙を携えて病室に現れた。いつものようにニコニコしながら「昨日のCTの結果だけれど…」と突然切り出されてドキッとした。小学生が通信簿を受け取るときのトキメキを覚える。 「結論から言えば『変化なし』です。患部が大きくも小さくもなっていないし、転移も相変わらずありません」と言って、レポート用紙を渡された。返す言葉を考えたが、何も出てこない。 この1カ月間の出来事が走馬燈のようによぎった。特に、7月11日の入院時のことを思った。あの時、看護婦さんに「お腹や背中の痛みはどれくらい」と聞かれて「3」と応えた。今では、ずっと「1」と応えているのだが、実は「レイ・コンマ・いくつ」と言いたいほど和らいでいる。入院前にはズルズルと健康時よりも5〜6キロは体重が減っていたのだが、入院後は何とか維持しているし、増える兆しも見えてきた。自覚症状としては極めて良い方向に向かっていると実感していた。その確信に満ちたものが、ガーンと音を発っして壊されたような気がした。 こちらの落胆の表情を見て、G医師から「まだ治療が始まって10回少々。進行が止まったことで良しとすべきではないですか」と慰めにも聞こえるお言葉を。でも、でも、それにしても… いただいたレポートの所見のところを抜粋して転記します。 ・膵頭部の腫瘍は大きさ、正常ともに変化はありません。 ・総胆管との間には浸潤は否定的であり、変化を認めません。 ・明らかな転移巣は指摘されません。 なお、このリポートには、依頼医名のところにG医師の名前があるほか、読影医、指導医、画像診断管理医の名前も列記してある。 癌という病気が強敵であることを、 CTの結果が教えてくれた。 今日いちにち、当てどなく彷徨う戦士になった。 明日は、明日からは、気持ちを入れ替えて戦おう。 強敵であればあるほど、 戦うことの意味が大きくなる。 8月3日(木) 前夜、亀田興毅vsランダエタ、ライトフライ級王座決定戦があり、テレビで2時間30分にわたる放送があった。42.4%という驚異的な平均視聴率を取ったという。病院での患者たちもベッドの横に置かれたレンタルの小型テレビで観戦していた。番組が終了したのが午後10時である。でも、10時は消灯時間なのである。病室は容赦なく真っ暗になる時間である。 でも、患者たちは興奮して、すぐに寝つけない。打ち合わせがしてあったわけではないのだが、みんながトイレに集まった。廊下とトイレとナースステーションは深夜でも灯を消さない。 バブミッシェルもラフィキくんとともに、その輪の中にいた。 「ボクシングはときどきインチキな試合があるが、こんなに無茶苦茶な判定は初めてだ」 「亀田自身が『ベルトはいらない』と言うかと思ったら、泣いて喜んでいたね」 「判定が出た後、ランダエタ側を一切映さなかった。TBSもグルになっている」 ふと気が付くと、少し離れた位置に看護婦さんも立っていた。でも、彼女たちもこの夜の出来事は知っていて「早く寝てください」とは言わなかった。 今朝、目が覚めたら、まずテレビのスイッチを入れた。「朝ズバッ!」にチャネルを合わせる。亀田を持ち上げていたみのもんた氏がどんなコメントをするのかが興味あったのだが、夏休みで登場していない。売店の朝刊が飛ぶように売れた。2紙買った人もいた。回し読みをした。 朝食の時間、食堂で昨夜の「トイレ会議」の続きが始まった。 がん患者って、何でこんなにスポーツ観戦が好きなのだろうか。野球、サッカー、相撲など、何でもござれである。刹那的になっている証拠なのだろうか。 8月4日(金) C病院に入院して以降の、この4週間ほどで言えば、このブログは毎週日曜日に更新している。最近、その手順についての質問も受けたりしたので、書いておきます。 病室にノートパソコンを持ち込んで書いています。ノートパソコンがやっと置ける程度の机もあるのだが、机上が狭いのでマウスを使うことはできない。Outlook Expressを開いて「新規」の所に文章を打ち込むのである。文章ができあがったら「下書きとして保存」にする。そのノートパソコンを外泊の時には持ち帰って、家のデスクトップで入稿作業をするのである。ブログ作業は、無論、Internet Explorer なのだが、O. Expressでの文章をコピーして I. Explorerにペーストできるのである。当たり前のことかもしれないが、この事を発見した時は「やった!」という気分だった。 そんなことで、入院後の金曜日は締め切りに追われる流行作家のごとく、文章づくりが忙しい。月曜から金曜にかけて計画的に作業を配分して…と思うのだが、そんなことはできない。 さてさて、問題は病院の中で入稿作業ができたら良いのだが、できないことが入院してすぐにわかった。「入院患者のためのアンケート調査」にその不満を書いたが、それだけでは充分でないと思ったので、投書箱に「インターネット室開設の要望書」を書いて投函したのである。 要望書に対して病院側の回答は得ていないが、ブログの入稿については触れていません。 内容はこのようなものです。 「私自身は違いますが、仮に50代、働き盛りの方がこの病院に入院したとします。社内の人からお得意様や協力会社まで50〜100人の方々に仕事上の迷惑をかけるとします。そんな方々に近況を報告して、おわびやお礼をしたい場合、どのような方法をとるべきでしょうか。 いちいち電話するのは相手に対して迷惑ですし、大変な労力が必要です。昔だったら郵便でしょうが、今は時代感覚としてヘンだと思います。相手から軽い反応をいただく意味でもE-mailではないでしょうか。ぜひ、患者が利用できるインターネット室を開設してください」 また、病室でノートパソコンを操作しているのを見て「PCカードで飛ばしてみては」とアドバイスしてくれた看護婦さんもいましたが、これも重めのブログ作業には適当でないような気がしました。何か良い方法をお知りの方はご一報ください。
by yonezawa02
| 2006-08-06 11:03
| 闘病の日々
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