トタン屋根、泥壁、凸凹した道、そして、
外国人が通りかかったら、How are youと呼びかける子供たちの叫び…
キベラのシンボルって、何だったのだろうと考えた。
脳裏から離れない物が二つあった。
<1> 静かに横たわった鉄道。
<2> おびただしい量のゴミ。
<1> 1896年、モンバサからカンパラまでの鉄道建設が開始して、ナイロビはその中心に位置し、
気候が冷涼なために拠点となる。鉄道のまわりに労働者が住み着き、彼らの飯を作るために
女たちが集まった。キベラの人口は増え続け、線路を中心にして街は拡大していった。
<2> キベラは上下水道が少なく、ケニア政府も見て見ぬふりをしている。トイレは硬い岩盤を
砕いて穴を掘らなくてはならず、数が少ない。3千人ほど住んでいる地域でトイレが6基と
いう悪状況。汚い物はナイロンなどの入れ物に包んでポイと街路に捨てるのである。
「ちゃんとしたゴミ捨て場はないから、ゴミの山と折り合いをつけて暮らしているんだ。
ゴミを気にしたら、キベラでは暮らしていけないから、何とかうまくやっているんだ」
<1><2>ともに「アフリカ日和」 早川千晶・著 旅行人・発行
キベラとは、ケニアの首都であるナイロビの、郊外住宅地のさらに外側にあるスラム街である。
ナイロビは大都市だから、いくつかの地区に分かれていて、それぞれに特徴のあるタウンを形成している。ガイドブックを見ると「旅行者には危険なダウンタウン」や「治安が悪い商業地区」のことは書いてあるが、キベラ地区の記述はない。観光地図にも表示されていない。
でも、キベラの人口が80万人と聞いて、これはひとつの地区ではなく、ひとつの都市ではないかと思った。地区内でショッピングもできる。学校もある。働く所もそれなりにある。
だから、この街から一歩も出ずに生活している人だって、いっぱいいる。
ところが、ナイロビの都心部に行って、マタトゥという小型バスに乗ろうとしたら「キベラ行」が何と多いことか。つまり、キベラは低所得者層の大型ベッドタウンでもあるのだ。
なのに、キベラにはその小型バスが入る道さえないのだ。地区の外側にバスターミナルがあり、後はテクテク歩くしかない。自動車道がない…それがスラムの定義なのだろうか。