この旅も残り1週間となった。
ブログがケニア篇からタンザニア篇に移るにあたり、
近況を列記しておく。
10月23日から27日まで、4泊5日のザンジバル旅行に行ってきた。
世界遺産のストーンタウンも中東的で素晴らしかったのだが、島東部の珊瑚の海岸は言葉を失う美しさであった。「電気のない宿」でゆっくりしてきた様子は、後ほど詳報を入れます。
帰った日、ダルエスサラームは10数時間にもわたって停電した。ザンジバルの「電気のない宿」で活躍した懐中電灯がここでも大活躍をした。電気も不安定だが、水道も出る時と出ない時が半々ぐらいで、給水車がたびたび来る。使用人たちといっしょに我々もバケツ運びをする。
給水車の向こうに見えるのがステイ先のワンブラ家である。
翌10月28日の正午前、下痢と37度少々の熱で元気を失っている美枝子を見て、昼食のために帰宅したワンブラ医師が「ん、マラリア」と言った。すぐに左手の薬指の先から検査用の血液を抜いて大学病院で検査したところ、まさにマラリアだった。ワンブラ医師は使用人まで連れて行っていたから、午後2時にはARSUMAXとDICLOFENACという2種の薬が届いた。
一時、38度以上になっていた熱が見る見る間に下がり、夜には平熱となった。マラリアは日本に帰って発病すると大変だが、こちらでは簡単な病気のようだ。美枝子の発病がわかってから則二も血液検査をしたら、こちらも「潜伏期」と出た。同様に薬を飲む。
ワンブラ医師によると、マラリアは潜伏期間が10〜14日とのこと。とすると、キリマンジャロからダルエスサラームに帰ってスグぐらいに感染したことになる。バガモヨに行ったときか。
医師によるとキリマンジャロのような高所、つまり、涼しい所では感染はないとのことである。キリマンジャロは山麓のホテルでも標高が1600mである。
関連したことを書いておく。タンザニアの入国には黄熱病の予防注射をした証明書「イエローカード」が入用であるが、マラリアに関しては「予防薬の服用が望ましい」とあるだけで義務づけられていない。恥ずかしい話しだが、その予防薬を飲んでいなかったのである。
なお、予防薬を飲んでいてもパーフェクトではないので、帰国した時、空港の検疫所で検査することが望ましいとある。無料。結果は15分程度でわかるとのこと。
もうひとつ、モスキット対策。日本から持って来た蚊取り線香が有効だが、こちらで売っているものは効かないとのこと。国産品を少しずつ使っている。
上の写真はザンジバルのストーンタウンのホテルだが、こちらではこのように蚊帳をはれるようになっているベッドが多い。ワンブラ家でも天井から蚊帳をぶら下げている。
マラリア騒ぎから1日おいて、30〜31日、ダルエスサラーム近郊、ビーチコンバーという海のリゾートに行ってきた。ワンブラご一家とともに行ったのだが、ワンブラ家の方々はご多忙のためにリゾートと自宅方面をクルマで行ったり来たり。結局、我々だけの休暇となった。
これがダルエスサラーム大学のインターネットルームである。このコーナーには3人しか写っていないが、全体で30人ぐらいの人が富士通のパソコンでネットできるようになっている。
この席のパソコンは故障で入院中。だからノートパソコン持ち込みの人の指定席となっている。
このブログはここから発信している。
不安定な電気に参ったのか、我がノートパソコンはバッテリーがダメになり、ピッ、ピッと警告ランプが灯るようになって2週間ほどになる。いつ使えなくなってもおかしくないという状態だから、ブログが停まったら「やっぱり」と思ってください。続きは帰国してからになります。
ブログのタイトルを「Tanzania」から「TANZANIA & KENYA」に変更しました。
当初、予定していたよりもケニア篇が多くなりましたので……