ンゴロンゴロへの道は遠かった。
そして、「問題」もあった。
山や動物が描かれたカラフルなバスが並ぶ。ダルエスサラームから東西南北、どちらに向かって行っても、タンザニアという国は国立公園(National Park)がいっぱいなのだ。
我々がステイしていたダルエスサラーム大学から歩いて行ける場所に「ウブンゴ」という大きなバス・ターミナルがあり、ほとんどの遠距離バスはここから出発する。案内役としてフローレンスさんが同行してくれ、我々親子3人はここから北西へ623km、アルーシャヘ向かった。
車掌2名、飲み物のサービスがあり、トイレ付きの豪華バスは、途中、食事タイムがあったり…
その土地の果物を買って食べたり…と気はまぎれるのだが、なんと10時間。ちょっと疲れた。
アフリカ大陸の中央に位置することで「アフリカのへそ」と言われるアルーシャは、国際会議などが多く、美しい街をイメージしていたが、さほどでもない印象を受けた。1961年、ニエレレ大統領が野生生物の保護のために出した
「アルーシャ宣言」でも有名な街である。
ここに1泊し、フローレンスさんの親戚筋がアレンジしたサファリ・カーで、翌朝、ンゴロンゴロに出発。我々親子3人を乗せたランドクルーザーは紫色のジャカランダが咲いた街を後にした。
途中、マサイ族の少年が5人、このようなメーキャップをして幹線道路沿いに立っていた。周囲には民家がなく、サバンナらしい風景が拡がっている。異様な雰囲気なので近づくのを躊躇した。でも、おしゃべり好きな普通の少年たちだった。観光客目当てのモデル稼業なのだ。我々も300円ほど払う。中央の少年は帰宅時間なのか、トイレットペーパーで顔を拭いていた。
マサイ族は満々たる自信を誇示する。その美貌は伝説的である。
優雅さと機敏さに加えて、高貴な強い骨格の目鼻立ちを備えている。
高い頬骨、尊大に見すえる両眼、ダチョウの羽毛を頭飾りにつけ…
「世界の民族 熱帯アフリカ」 E.エバンス・プリチャード監修 平凡社
マサイ族のみやげ物屋には実際に使えそうなヤリなどが並び、商品の多彩さに圧倒される。
でも、ここでないと買えないような物もある。黒檀をマテリアルにしたマコンデ(彫刻)が多い。
アルーシャからンゴロンゴロ自然保護区までは約150km、2時間半くらい。道路は素晴らしい。
そして、ンゴロンゴロまで後すこしという所で
[27]にも書いた問題の場所に出た。
これが日本のODAが援助して、日本のゼネコンが建設中の道路なのだ。「このアフリカらしい風景…周囲、どちらに行っても街はないのに、この幅が広い道路は何なんだ」と車中にて叫ぶ。
ODA(Official Development Assistance,政府開発援助)は
本当に開発途上国の人々の生活改善に役立っているのか、
日本企業の利益に貢献しているだけではないのか。
「ODA」 渡辺利夫・三浦有史・著 中公新書