キリマンジャロは火山で、アルカリ系玄武岩が主体になっている。
今でも噴気活動が認められるキボ峰の山頂には、
幾重にもなったカルデラが見事であり、氷河が標高4570mにまで達している。
「アフリカを知る事典」 中村和郎・著 平凡社
この日の目的地の4703mのキボ・ハットが近づくに従って、まるで月面のような無味乾燥な、
荒涼とした地肌の上を歩くことになる。景観はほとんど砂漠に近い。冷寒高原と呼ばれている。
食事の度にスープを2〜3杯、紅茶(チャイ)をガブガブと飲んで、水分摂取に努めているためか、
頭痛など高山病の症状が出ていないし、この時点では空気の希薄さを少しも感じていなかった。
上の写真のように山頂付近に厚い雲が覆った。その雲がドンドン降りてきて、我々を包んだ。ほとんど行く手が見えなくなった。と言うことで、この第三日目の写真はこれが最後となった。
キボ・ハットへの道は一本道でわかりやすく間違う心配はない。The Saddleと呼ばれる平坦な道からキボ峰への急な登りが始まりかけた所にキボ・ハットがあった。順調に歩いたために、午後1時半には山小屋(ハット)に到着した。この山の一番の高所にある山小屋だから、一段と頑丈な造りになっている。水場がまったくないために、屋根の下に雨水を溜める装置があった。でも、我が隊はホロンボ・ハットからポーターが運んでくれた水で食事の準備をした。電気は太陽熱で発電したものをバッテリーに溜めて、夜の照明用などに使っていた。
午後5時には夕食をとった。その後、ガイドのヘディックさんに翌日のアタックの装備、服装、注意事項などを聞いて、午後6時には就眠となる。Diamox(
[66][77]参照)という高山病予防のための利尿剤の最後の粒を飲んだ。「さあ寝るぞ」とシュラフ(寝袋)に潜った。ところが、寝ることができなかった。翌日は午前0時から午後3時まで15時間にわたる行動となる。それをキチッとこなすためには、充分な睡眠が必要だ。「眠らないとダメだ」と焦れば焦るほど眠れなくなった。
同室のイギリス人の50歳くらいの男性2人とアメリカ人の若夫婦の4人はスヤスヤと気持ち良さそうに寝ている。午後11時30分、食事担当のポーターが紅茶とクラッカーを持ってベッドのそばに来たので、一睡もしないまま、やむなくシュラフから出て身支度を始めた。
【LOG in BLOG】05.3.13
九代林家正蔵襲名記念「林家こぶ平・下町感謝の日」の浅草は人・人・人で沸き返った。
朝、上野の鈴本演芸場を出発し、写真のように大掛かりな装飾を施したトラック7台で浅草までパレード。雷門の前でトラックを降りて、浅草仲見世を賑やかに練り歩くというもの。
たまたま娘たちと出かけた浅草見物の折、雷門の前で落語家としては異例のこのイベントを見る機会を得た。でも、群衆に揉まれ、警官に押し返され、あまり近づくことができなかったし、こぶ平の姿はついに見ることができなかった。でも、マイクを通して「有り難うございます」と泣き叫んでいた声は聞こえたし、もらい泣きをした。仲見世での「お練り」に至っては人集りを遙か遠くから見ただけだった。新聞発表では7kmのパレードとお練りでの人出は14万5千人とある。
前回LOG(日記)の勘三郎も素晴らしかったが、こぶ平の下町の人達に支えられた人気にも感慨深いものがあった。勘三郎は父から、こぶ平は祖父から貰った名を継ぐことになる。
こぶ平の林家正蔵襲名披露興行は3月21日から全国各地で行われる。