19世紀にはいり、オマーンのサイード王がザンジバル島に
王都ストーンタウンを建設すると、アラビア半島からの移民が増加した。
アラブ化は、家屋、家具、ファッションにまでおよんだ。
木彫りのドアに描かれる模様も華麗な装飾が好まれるようになり、
いわゆる「ザンジバル・ドア」として知られる新しいスタイルが出現する。
「ザンジバルの笛」 富永智津子・著 未来社
ザンジバルは人口38万人。面積は約1,500平方km。沖縄本島の約1.4倍、佐渡島の約2倍の広さ。
我々、神戸市民には馴染みの淡路島の約3倍の面積。島の形が南北に長く、山らしい山がないところが似ている。しかも、大阪市や堺市に向かうように洲本市があるように、ザンジバルにはダルエスサラームやバガモヨに向かうように、唯一の都市「ストーンタウン」がある。
我々はワンブラさんご夫妻とともに、ダルエスサラームからストーンタウンに向かったのだが、
(多忙なご夫妻はホテルで一泊しただけで、翌朝にはいそいそとダルエスサラームにご帰還)
約80kmの海上を水中翼船で2時間少々で走るのである。これも「淡路島的」なのである。
ここで我が淡路島を、一生懸命、ザンジバルのイメージに近づけようとしても、近づいてこない要素がいくつかある。ひとつは前回書きました1000年以上にわたる脈々たる歴史である。
ストーンタウン…オマーンの
サイード国王支配下におかれた時代に建設された街だから、200年足らずの歴史である。それにしては幾多のものを包含した雰囲気を漂わせているではないか。
ストーンタウンでは「迷路のような」という表現を使うが、この複雑さは迷路そのものである。
ここで方向感覚を失わない人がおれば尊敬に値する。地図を見ながら歩いたって間違うのだ。
道を間違いながら、店主自らが描く
ティンガティンガ(絵画)を冷やかしながら、当てどなく歩く。
そして、重々しい芸術作品「ザンジバル・ドア」の前で記念写真を撮りながら、ひたすら歩く。
Stone Town…石で造られた街に時代の流れを止めようとする意志を感じた。
【LOG in BLOG】05.7.13
我々がダルエスサラーム滞在中、キリマンジャロやザンジバルの旅行からBlogをつなぎ方まで、いろいろとお世話になったJATA toursの根本利通社長から、昨日、E-mailをいただきました。
ダルエスサラームは明け方肌寒く、快適な季節を迎えております。幸いにもタンザニアに来られる観光客が日に日に増える毎日です。お元気のことと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。
7月15日アップの弊社のウェブで「サファリの記録」というページを作り、弊社をご利用いただいた旅人の自慢の写真、記録などを紹介しようと思っています。もし米沢さんのブログも紹介していいのであれば、リンクの形にしたいと思いますがいかがでしょうか? 根本利通
もちろん、OKを出しました。当方としても左の欄のリンク先のところに入れさせていただきました。親身になってお世話してくださいますし、現地の旅行社の有利さも生かされます。
タンザニア方面に行かれる方は利用してあげてください。E-mailは日本語でOKです。
<追記>上記の
JATA toursの「サファリの記録」は必見です!
「旅のうわさとひとりごと」はすごい旅! すごいドキュメント!
「The Travel to Tanzania 2005」はチンパンジーがかわいい!