昨年11月23日、ブロガーとしては天にも昇る心地にさせられる一通のE-mailが舞い込んできました。ダルエスサラームの旅行社、
JATA toursの根本利通社長から転送されたものです。
来年春、私たち、山仲間数人でキリマンジャロに登りたいと思っています。
タンザニア大使館でJATA toursを教えていただき、ホームページを拝見しました。
大変に面白いですね。特に『サファリの記録』でリンクされている
米沢夫妻の「キリマンジャロの白い頂き」は大変参考になりました。
そして「山仲間数人」が結果として8人となり、2月から3月にかけて計画が遂行されました。
投稿者からお願いして、この貴重な山行記録を掲出させていただくことになりました。
写真でもおわかりの通り、猛吹雪の中、九大山岳会(OBの会)のキリマンジャロ登山隊の4人が頂上のウフル・ピーク(5895m)に到達することができました。今年3月2日の朝のことです。
九大山岳部(現役)の創立50周年記念タオルを拡げての喜びの表情をご覧ください。
風で吹き飛ばされて積雪は少なく、ラッセルはなかったのですが、視界が悪いために
ご来光はおろか、
氷河も火口もまったく見えなかったとのことです。まさに厳冬期登山の様相です。
これは素晴らしいことだと思うのですが、ギルマンズ・ポイント(5681m)に8人の隊員中、残りの4人も到達していることです。
[71]で書きましたように、古くからギルマンズ・ポイントを頂上と見なすという考え方があります。そうだとすると、全員が登頂したことになるわけです。
でも、この快挙は隊員の皆様方の、準備の段階からの努力の結晶であることがうかがえます。
この隊の高山病対策は啓示にあふれたもので、大いに勉強になります。( )内は投稿者の声です。
1. 隊員各自が東京や福岡の山専門旅行社に行って、数回、低酸素室トレーニングを
行いました。(知りませんでした。今後、登る時は低酸素室を探して訓練します)
2. 前半のアプローチでは通常の2倍以上の時間をかけてユックリと登りました。
(これも知りませんでした。少しずつ標高をあげるわけですから… なるほど!)
3. 入山してからは1日4リットルの水分を摂取しました。水筒の水には電解質粉末を
入れて飲みやすくし、スープやお茶も積極的に。(4リットルは大変だが根性で…)
4.
ダイアモックスという薬を飲みました。(これは同感。トイレが近くなりますが)
それにしても、この写真、雪が多いのに驚きました。「5000m以上はずっと吹雪でした」とのことですが、うなずけます。手前、右寄りに
セネシオの幼木があります。この感じ、いいですね。
この隊の企画から実行までマネージされた金氏顯(かねうじあきら)さんとは何度もE-mailをやりとりして教わることも多かったのですが、今回の登山をこのように総括しておられます。
昨年、九大山岳会はカラコルムのバルトロ氷河を遡り、K2を眺めて来ました。それなりに貴重な体験でしたが、「頂きに登った」という達成感がなかったのです。それを踏まえて今回は自分たちで計画して実行に移しましたが、かなり安くて、楽しい旅ができたことを喜んでいます。
それと、キリマンジャロはアフリカ最高峰、かつ火山の世界最高峰だからでしょうか、国際色豊かです。北欧各国、ドイツ、イギリス、アイルランド、フランス、イタリア、イラン、オーストラリア、韓国など、多くの外国人と会うことができました。
また、ガイドたちが優秀で、礼儀正しく、ユーモアも身につけていて感銘を受けました。キリマンジャロから下山して、すぐにンゴロンゴロ自然保護区に入りました。
ハイエナがヌーの子供を追いかけていると親ヌーが出てきて、逆にハイエナを蹴散らすシーンなど見ることができました。自然のままの動物たちのすべてが珍しく、感嘆符!の連続でした。
その他、縄文時代のような生活をするマサイ族の集落、悲惨な奴隷貿易の歴史をしのばせるザンジバル島、また、美しい白砂青海など、タンザニアの魅力を満喫することができました。
なお、この8人のグループ、平均年齢は60歳、最高齢の方は67歳とのことです。
詳しくは…
九大山岳会ニュース「キリマンジャロ登山とタンザニアの旅」
【LOG in BLOG】06.4.6
上掲のキリマンジャロ登山隊と同様に、このブログで知りあった方からの情報提供です。
[97]でも述べましたように、タンザニアでは首都ダルエスサラームはもちろん、地方都市に行っても、しばしば、ティンガティンガの画家や作品に出会います。確立された画法を忠実に受け継ぐ、圧倒される数の芸術家集団。その背後にはヨーロッパでの高い評価があるでしょう。
では、日本で彼らへの理解はどうなのでしょうか。[97]の稿を書くにあたり調べたのですが、あの稿で記しました講談社が10数年前に発行した2冊の本以外の文献はないようでした。アフリカを代表するモダンアートなのに「知る人ぞ知る」という世界であるような気がする。
そんな「ティンガティンガ未開地」に三年連続で来日し、普及に努めている若い画家がいます。マイケル・レヘムさん、33歳。ティンガティンガ画法の創始者エドワード・S・ティンガティンガの甥にあたり、各地でのコンペティションで優勝し、注目を浴びている画家である。
2004年、タンザニア大使館主催の個展を東京、横浜、千葉、山形にて、2カ月間にわたり開催。
2005年、愛・地球博のアフリカ共同館での毎日のデモンストレーションがお客さまに好評で、メディアで取りあげられた。「彼なら知ってるよ」と言われる方も多いことでしょう。
今、マイケル・レヘムさんの絵画はすべて売り尽くされ、タンザニアでも手に入らないのです。
今回の個展での展示絵画は4月中旬に来日してから描くというハードな日程になっています。
さて、今年、名古屋で始まって姫路で終わるという遠大な計画を立案して運営しているのは、タンザニア大使館ではなく、博覧会スタッフでもなく、姫路市在住の若い女性なのである。
このブログへのコメントを寄せてくださって、投稿者は彼女と知りあったのですが、何度もE-mailをやりとりしている内に情が移り、お力になってあげられたらと思っている次第です。
彼女は昨年の愛・地球博でマイケル・レヘムさんと知り合い、お付き合いが始まり、彼の婚約者でもあるのです。でも、イベント関係は未経験であるし、多分、これからも失敗をしたり、恥をかくことも多いのではと思いますが、全国の皆様、彼女を応援し、協力してやってください。
小宮淳子 E-mail : tenatena@w2.dion.ne.jp
淳子さん、頑張れ! イベントには「手づくりの味」が生きるのだから…
さて、マイケル・レヘムさんは作品をほとんど持たずに来日し、個展用の絵を寸暇を惜しんで描いていると聞いていたのに、4月21日、神戸でのサカキマンゴー・ライブに姿をあらした。左が淳子さん。右はこの日、マンゴーくんと共演したミュージシャン「ダダムビラ」の二人である。
女性3人の話題は音楽や絵画ではなく、タンザニア料理の調理法に関する情報交換であった。
最初の個展、名古屋の市民ギャラリー矢田でのマイケル・レヘムさんである。ご覧の通り、日本に来てからの作品がずらりと並んでいる。でも、忙しそうにセッセと会場でも描いていた。
タンザニアの各地で随分たくさんのティンガティンガを見ることができたのだが、このように描いているところを直に見せてもらわなかった。まさに絵画のLIVEである。
画材は日本のホームセンターで買った看板用のペンキ。板はタンザニアでは木くずを圧縮して固めた建築資材を使うのだが、日本のベニヤ板の方が筆の滑りが良いとお気に入りのようだ。
ティンガティンガをタンザニアで買うと通常のスーツケースに入らないサイズのものが多いのだが、ご覧の通り、日本の住宅事情に合わせて小さめの絵を主として描いているのである。